さあ、読もう。中堅教員読書のススメ

執筆者: 安藤浩太

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安藤浩太(あんどう・こうた)

東京都昭島市立光華小学校主任教諭。

1989年鹿児島県生まれ。東京都公立小学校に勤務。国語科教育と生活科教育を中心とした低学年教育を研究や実践の主なフィールドとし、遊びで授業を創ることを目指している。

著書に『そこに、遊びがある授業』『教室で使えるカクトレ』(東洋館出版社)、『小1担任の授業術ー遊びと学びでつくるPlay型授業』(明治図書)などがある。

皆さん、はじめまして。安藤浩太(Andy)です。

「遊びがある授業」を志し、東京都の片隅で日々実践を積み重ねてきました。そんな私の教員生活も、早いもので今年で11年目を迎え、中堅と呼ばれる年代に入ってきました。そんな私がこの記事の執筆を引き受けたのは、そもそも私自身が読書をこよなく愛していること、そして、何より日々の読書が私を、そして私の教育実践を形作ってきたと実感しているからです。

教師として11年という年月を歩む中で、もちろん喜びもありましたが、それと同じくらい苦労や苦悩もありました。右も左も分からない中、日々の授業に追われた初任者時代。研究授業で子供たちが可哀想だと言われた二年目。もっと面白い授業をやってと言われた三年目。そんな教科書に載っていないことをやるなんてとお叱りを受けた四年目。トホホ。書いていて我ながらボロボロですね(笑)

まあ、でもそんな中であっても挫けず、その時々の壁を乗り越えられたのは、目の前の子供たちの笑顔や同僚の先生方のご助力はもとより、いつも手元に本があったからだと思うのです。私には、その時その時で拠り所となった一冊がありました。教育書を読むことで、新たな知見を得て子供の見方が変わったり、新たな方法を知り教師としての腕が磨かれたりしました。時に伸びかけた鼻をポキリと折り、時に励まし背中を押してくれ、時に衝撃を与え奮い立たせてくれる。少なくとも私は、教育書を読むことで救われてきたし、勇気をもらってきました。そしてそれは確実に私を形作り、日々の関わりや実践を通して子供たちの笑顔に結びついたと感じています。


だからこそ、「さあ、読もう。」「一緒に読もう。」と皆さんを読書の旅へとお誘いしたいのです。

そして、テーマにもある通り、私が今回対象としたのは私と同じ「中堅教員」の皆さんです。私が今回あえて中堅教員の皆さんを対象としたのは中堅教員こそ、教育書を読んだらいいのになあ、、、と日々感じているからです。

なぜ中堅教員こそ教育書を読むべきなのでしょうか。中堅ともなれば仕事や家事、育児と公私共に多忙を極めるでしょう。私自身も実際そうです。子供を寝かしつけてようやく得られた一時を、少しでも寝ていたい通勤中の一時を、なぜ読書にあてるのか。

それは、中堅教員が教師としての仕事の大体を知り、膨大な授業実践を重ねてきたという豊かな経験があるからです。豊かな経験と言えば聞こえはいいですが、繰り返すことによる慣れは停滞と飽きを生む可能性を多分に孕んでいます。


偉そうに言っていますが、実際私こそ、そうで、少し怠ると

「授業でも学級経営でも特に困ってはいないのだけれど、毎日が淡々と過ぎていくなあ。」

「仕事でドキドキ・ワクワクすることが少なくなったなあ。」

「今の自分が、去年、一昨年と変わっていない気がする、、、。」

と閉塞感や停滞感、人知れぬ焦燥感を感じてきました。そうして、それを読書によって打破してきました。

この記事は、そんな中堅の先生方向けへの私からの「読書会」のお誘いです。

豊かな経験があるからこそ分かる世界がきっとあるし、新たな世界の扉を開けることでもっとこの仕事は面白くなるはずです。そして、読書はその扉を開けるための鍵の一つになりえます。

この記事では、一冊一冊をバラバラに紹介するのでなく、ここまでに書いた私の思いをもとにアンソロジーとして五冊一組で紹介していきます。一冊一冊もそうですが、アンソロジーとして見たそれぞれの本のよさも感じ取っていただけたらと思います。さあさあ、それでは、読書会を始めます。

まず初めに紹介したいのが生活科や総合的な学習の時間のプロパーである松村英治先生の著作です。本書では、松村先生の数千冊に及ぶ膨大な読書記録をもとに、その時その時で松村先生の考え方(観)や実践に大きな影響を与えた教育書を紹介しています。本書の面白いのはまさにこの点にあります。名著と呼ばれる本は数多くありますが、実際に自分自身にとっての貴重な一冊となりえるかは、その時の自分自身の課題や問題意識によるところが大きいものです。その点、本書ではお子さんが生まれそうになるときに手にとった一冊から子供は有能な学び手であることを再認識したとあるように、松村先生のその時々の文脈(本を読んだ時の自身の背景)と本がセットになって紹介されています。だからこそ、まさに今自分が読みたい一冊、読むべき一冊を本書を通して見付けることができるはずです 

また、本書の価値は教育書のブックガイドそれだけに留まりません。本書の題名にも「教育書の生かし方」とある通り、一人の教師の読書体験と教育実践の往還を追体験することを通して、読書したことと実践とのつなげ方を学ぶ、まさに教育書の読み方を知る指南書としても価値があります。読み始めにおススメの一冊です。

様々な教育書、そしてその読み方を段々理解してきた頃に読んでいただきたいのが、続いて紹介する田村学先生の著作『深い学び』です。ここ数年、よく聞く「深い学び」のフレーズ。職員室や研修会、そのあちこちで耳に入る「深い学びが大事だよね。」という言葉。「そうだよね!」と頷くし感覚的に分かるものの、説明してと言われたら言葉にはできない、、、。そんなことがありませんか。そもそも「深い学び」とは現行の学習指導要領における授業改善の文脈の中で「主体的・対話的で深い学び」として出てきた言葉です。そして現行の学習指導要領の作成に教科調査官・視学官として関わられたのが著者である田村学先生です。

本書は、よくある用語の単なる解説書ではありません。主体的な学びや対話的な学びを皮切りに「深い学び」の理論的考察、具体的な実践と授業デザイン、そしてそれを支えるチーム力と、内容は深い学びを中心に星座上に広がっていきます。本書をおススメしたい最大の理由は分かりやすさにあります。分かりやすさと言っても難しい内容を平易な言葉に言い換えて簡単にしているわけではありません。その分かりやすさは理論と実践(子供の学びの具体的様子)を丁寧に往還することによるそれです。そうすることで、私たちの中にある実践上の具体的な子供の姿と著者の主張する「知識が構造化された状態(=深い学び)」が結びつきます。「深い学び」を知識の四つの構造化によって説明することで、本質的で価値あるけれど顕在化されていなかった子供たちの学びの在り様を私たちの脳裏に鮮やかに描き出してくれます。

一見、大上段に構えた理念が実は本質的かつ淵源的であり、目の前の子供の事実と確実に結びついていること、そしてそれを具体的実践で記すことで、実践への援用へとつなげている本書のロジックは実に見事というしかありません。要はキレッキレだということです。私自身、発売後すぐに購入して読了しましたが、それから何度も何度も手にとり読み返している私の中の大切な一冊です。

前述の「深い学び」。現行版の学習指導要領では、「知識を相互に関連付けてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見いだして解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう『深い学び』」とあります。つまり、深い学びはゴールではなく、ゴールに辿り着くための手段なのです。そして、ゴールは子供たちの「資質・能力」を育むことです。現行の学習指導要領では、それまでの「内容(コンテンツ)」中心の教育から「資質・能力(コンピテンシー)」中心の教育へと学力観を拡充しその質を高めることが求められています。先ほどの田村先生と同じく現行の学習指導要領作成の中心的な役割を果たしたのが著者である奈須正裕先生です。

「資質・能力」という言葉を初めて聞き、しかもそれが今期改定の中心概念だと知ったとき、手にとったのが本書でした。本書では、なぜ今「資質・能力」なのか、それを全世界的な動向と日本の現状という空間的な広がりと、教育史的な視座で俯瞰的に流れを追う時間的な広がりといった二つの軸で説明していきます。さらにはそこに、教育学者である著者がその裏付けとなる知見についても概略を示すことで、私たち読者をより深い納得へと誘ってくれます。本書の魅力はその圧倒的な知の奔流によって自らの教育観が否応なく再構成される点です。何よりシニカルでいながらも学びの本質をガッチリと捉えて離さない(もちろん私たちの心も)著者の書きぶりの面白さに引き込まれていきます。読了した後、「そうか、そういうことだったのか。」と鳥肌がたつような発見の喜びを抱いたのを今でも覚えています。

田村先生の『深い学び』が教育政策と実践を、奈須先生の『「資質・能力」と学びのメカニズム』が理論と実践をつなぐものだとすれば、本著は教育政策と理論をつなぐ本だと言えます。そもそも国立教育政策研究所(その前身は昭和二十四年に設立された国立教育研究所)は教育に関する唯一の教育研究所であり、その長い歴史の中で先行的な調査や施策の検証、教育改革の裏付けとなる基礎的研究が行われてきた機関です。先述の田村先生や奈須先生も所属されていました。

そのような機関が発刊した本書は資質・能力『理論編』とタイトルにある通り、資質・能力の背景にある社会的な要因や数多くの研究理論をその内実とともに取り上げ、資質・能力とはどのような能力か具体的に提言します。各国の教育政策に見られる共通項を導き出すことから始まり、各種研究理論を経て、資質・能力の具体へと迫るそのロジックは美しく、非常に機能的です。

 教育書を読んで、同じように真似してやってみたけれど上手くいかない、、、、そんなことはないでしょうか。それもそのはずで、その方法をとった背景にある文脈や状況、教師の観といった点も加味してこそ表裏一体となり、方法は機能します。行為は条件と結びついてこそ自由闊達になりうるということです。資質・能力に迫るための裏側、もしくは違う視点でその深奥に迫るという点で本書は貴重な一冊です。理論編と銘打ってあるので、実践編が出るのを今か今かと心待ちにしています。

有名な宮本武蔵の肖像画。鋭い眼光にだらんと下がった両の手。読めない重心。ただ立っているだけのようで一部の隙もないことが分かります。本物であるかは立ち居振る舞いに表れます。同じように名著も表紙の面構え、はじめにの文を読んだだけでそれかどうか分かるものです。本著は昭和五十年に出版されて以来、長く読み継がれてきました。本著を読み返すたびに不易と流行という言葉が思いこされます。

教育は未来を生きる子どもたちにとって必要な力を育むという目的があります。だからこそ、教育は時代によって形を変えてきました。農耕社会では絶え間なく変化する自然事象の只中にあっても経験則をもとに臨機応変に対応できる能力が求められたのに対して、工業社会では単純で定型の仕事を効率よく淡々と遂行できる能力が求められました。このように、社会の在り様が変化すると、当然求められる力も異なってきます。だからこそ教育にも流行があり、時代によって形を変えてきたのです。しかし、もちろんその中でも変わらず大切にされてきた不易と呼ばれるものもあります。私はその一つが「人が学ぶという営みを問い続けること」だと考えています。

 はしがきにもある通り、佐伯胖先生が『特定の専門的な立場から書かれたのではなく、ひとりの人間として、親として、教師のひとりとして、また、学者として、ただ「学び」について、考えられるかぎり素直に、ありのままを考えようと』したのが本著です。学びを「覚える」「分かる」と細分化して考えることを始めとして、日常生活とも関連付けながら丁寧に実直に考察を進めています。本著は古いのに新しく、エッセー的でありながら専門的です。自分を映し出す鏡のように読むたびに、常に新たな発見をもたらしてくれます。それはまさに、教育の本源的な在り様が語られているからなのでしょう。

さて、みなさん、中堅教員による中堅教員のためのブックガイドはいかがだったでしょうか。紹介文を読み、「手にとってみようかな」と少しでも心が動いたなら嬉しいことです。

今回、個別バラバラに紹介するのでなく5冊1組のアンソロジーとしてブックガイドを行いました。このアンソロジーに私が込めたのは、「専門性を磨くための読書へと舵をきろう」というメッセージです。ブックガイドの中で宮本武蔵を例に出しましたが、武蔵は「五輪書」という芸道論もしたためています。同じ芸道論に「花は心、種は態」とした世阿弥の「風姿花伝」があります。佐藤(2009)はこの風姿花伝に着想をえて、「教師花伝書」として思想や哲学といった心と身体技法や学ぶ道筋といった態を紹介しています。その中で教師は、専門性(professionalism)と職人性(craftmanship)を有する必要があると言います。着任して間もない頃、私が求めたのは職人としての教師の技でした。明日明後日の授業の為、目の前の子供たちの為、見様見真似で腕を磨いていきました。そして、教師としての勘所が掴めた(もちろんまだまだ修行の途中ではありますが)中堅となり、次に目指すのは専門性の向上による相乗的な職人性の向上だと今の私は考えています。冒頭申し上げたように、豊かな経験があるからこそ、分かる世界があります。繰り返しますが、読書はその新たな世界の扉を開ける鍵の一つになりえます。そうやって、専門性を高めた先に広がる世界もきっとあることでしょう。教師としての果て無き道を歩むとき、あなたの傍らにいつも素敵な本があることを願っています。