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算数授業研究 Vol. 109 論究 X - 東洋館出版社

算数授業研究 Vol. 109 論究 X

ISBN: 9784491033259

筑波大学附属小学校算数研究部/編

セール価格 840(税込)
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商品説明

資質・能力に着目した上で、算数の授業現場をどう変えていきたいのかを論じる論究号。流行のキーワードに流されるのではなく、今、育てたい資質・能力とは何かについて、さまざまな視点から共に考える一冊。

第1章 1年生の力は侮れない

1年生パラダイム・シフト

いい授業が、学びに向かう学級をつくる。

学びに向かう学級が、授業のさらなる可能性を広げる。

この双方向性のある相乗効果を引き出すことが、学びに向かって自ら突き進んでいける子供を育てる。



目の前の子供の特性、学級文化、家庭や地域の特色など、様々な差異を超えて、いい教育を実現している教室には、こうした力学が働いているように思います。その実践と手法の一端を明らかにすることが本書のミッションです。

特に、本書で光を当てたいのが1年生の学びです。それがために、まず掲げておきたい捉えがあります。それは、こういうことです。

1年生の子供たちの力は侮れない。

彼らは、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する「資質・能力」の原石である力をそもそももっています。それなのに、私たち教師は、小学校に入学したばかりの子供たちに対して、つい次のような印象をもってしまいます。

「1年生は何もできない存在」

小学校に入学したての1年生は、上級学年の子供たちから「お世話される」対象だとみなされることがあります。朝の支度を6年生にお世話してもらう、2年生に学校を案内してもらう、などなど。

こうした教育活動自体が悪いわけではないのですが、1年生でもちゃんとできることまでお世話すべき対象だとみなしてしまうと、「お世話をしてもらわないと(してあげないと)、何もできない存在なんだ」という誤ったメッセージを、1年生のみならず上級学年の子供たちにも送ってしまう危険性があります。

それから、もうひとつ。

「1年生は教師が教え導くべき存在」

入学式を終えてしばらくすると、職員室で次のような会話が交わされることがあります。

「ぜんぜん話が通じないよね。1年生だものね」
「そうそう、まるで小さな宇宙人みたい」

けっして卑下しているわけではありません。ちょっとした笑い話として交わされる、小学校という職場での「あるある会話」のひとつです。その胸中には「だから、私たち教師がしっかり指導しなきゃ!」というポジティブな心情があります。

しかし、教師としての高いモチベーションが、かえって1年生のもてる力を見誤らせてしまうことがあるとしたら…私は、あまりにもったいないと思うのです。

新しい学習指導要領が目指す「資質・能力」が、本当の意味で育まれるためには、子供がそもそももっている力(ポテンシャル)の存在を信じ、その力を引き出し、生かし、高めていくことに尽きます。そのためには、1年生の子供たちに対して抱きがちな私たち教師のイメージ、思い込みをリセットするようなパラダイム・シフトが必要となるように思うのです。

子供たちは、小学校に入学する段階で、遊びや生活を通してたっぷりと学び、「資質・能力」の原石を形成しています。幼稚園・保育所・認定こども園(以下、「園など」)などでリーダーとなって大いに活躍し、周囲の友達や年下の子供たちから頼られてきた経験と知己をもっています。

それなのに、

「1年生は何もできない存在」
「この子たちにできることはとても限られている」
「私たち教師が何でも教えてあげなくちゃ」
という意識(親切心)で子供に接してしまえば、
「小学校は幼稚園とは全然違うんだ」
「いまのぼく(わたし)の力は通用しないんだ」

という誤った意識を刷り込んでしまい、もてる力を安心して発揮できず、自ら学んでいける可能性を狭めてしまうのです。

そうではなく、まずは「1年生の子供たちは、入学した時点ですでに学びに向かっていける力をもっている!」と心から信じること、そして、彼らの潜在的な力を存分に活用・発揮させる場面を数多くつくることができれば、私たち教師の想像を凌駕するような力を彼らは発揮してくれます。彼らのもてる力を信じ、これまでよりも学習の目標レベルを引き上げてもよいのではないか、私はそんなふうに感じています。

そこで、ここでは「1年生観」を象徴するような場面や、それを乗り越える可能性について紹介していきます。

1 1年生の子供は学習中に席を立ったり、移動して戻ってくることが得意

授業を参観していると、提出物を机の上に出させ、教師がグルグルと回り、集め終わるまで子供たちをじっと待たせる、そんな光景を見ることがあります。また、ひらがなの書き取りを終えると、右手をピンとあげたまま、丸付けの先生が回ってくるまでずっと待っている子を見かけることもあります。

このような授業者の心情には、「1年生の子供たちに離席させると、どこかへ行ってしまうのではないか」「収拾が付かなくなるのではないか」という心配があるような気がします。しかし、教師が先回りしてそんな心配をする必要はありません。彼らは席を離れ、また戻ってくるというトレーニングをすでに積んでいるからです。

幼稚園等では、「ここが自分の席」 といった場所が固定されていません。 せいぜい 「ここが自分の使うグループのテーブル」くらいのゆるやかな取り決めが多いと聞きます。

そのような環境のなかで、ときにはぎゅっと集まり、ときには車座になり、ときには並び、ときにはテーブルに向かって座る……(発達障害など課題を抱えている子といった特別な理由でもない限り)一度立ち上がったらどこかに行ってしまうということはありません。

1年生の子供たちは、席を立ったり座ったりする、目的に沿って形態を変えることには、実は割と慣れているのです。



2 指導の手順を少し変えるだけで、子供の自己有用感は向上する

1年生の担任の週案を見ると、「~の仕方を教える」「~の使い方を教える」という文末表現が多いことに気付きます。その裏側には、前述したような「1年生は何もできない存在」という意識が根底にあります。実をいうと、以前の私がまさにそうでした。

机のなかの片付け方、道具箱やロッカーの使い方、靴箱、水飲み場、トイレなどなど…。小学校という新しい環境に1日でも早く慣れてもらおうと、私たち教師の親切心が動きます。

しかし、環境は違っても、園などでの生活と共通する事柄は少なからずあります。たとえば、園でも遊び道具を片付けていただろうし、トイレで用を足していたはずです。たとえ小学校とは多少やり方が異なっていたとしても、その目的とするところは変わりません。そんな事柄を拾い出していけば、何もゼロベースで一つ一つ教え込む必要なんてないんだと気付くことができます。

そこで、私は朝の会などで「いま困っていること」「何か心配なこと」を子供たちから聞く時間を設けることにしました。誰かが発言すれば、同じ悩みをもっている子は「うんうん」「そうそう」と頷きます。こうしたワンクッションを入れたうえで、子供たちと一緒に「仕方・使い方」を確認します。

また、目で見て分かるように、使い方などをイラストにまとめて掲示しておき、それでも困っている子がいれば個別に声をかけます。

このような取組であれば、「自分は1年生で何もできないから教えてもらってるんだ」という受け身の体験ではなく、「何に困っているかに自分で気付き、それを自分なりに表現し、解決できた」という成功体験に変わるのです。