使える学力の育て方?すべての生徒が自学自走できる授業づくり

使える学力の育て方?すべての生徒が自学自走できる授業づくり

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冨塚 大輔/著

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『使える学力の育て方』〜すべての生徒が自学自走できる授業づくり

国語科の実践を例に挙げながら、生徒の「学力」が着実に向上する
中学校の授業改善の具体策!

中学校段階で鍛えるべき学力

学力と言うと、中学校段階では表向き学習指導要領が定める資質・能力を指し、本音レベルでは希望校に合格する(または就職試験に受かる)ための知識・技能をイメージする方が少なくないと思います。それに対して、私が重視しているのは、将来会社勤めをするにしても、自ら起業するにしても必要となる「自分で課題を見つけ、自分なりにどんどん学び進めていける力」です。

よく課題解決力が大事だと言われます。確かにそのとおりなのですが、課題を解決するためには、まず何が課題なのかを知らなくてはなりません。実は、これがなかなか難題で、課題を解決する力よりも、課題を見つけ出す力を身につけることのほうがむずかしいからです。(言うまでもなく)解決すべき課題を見いだせなければ解決しようがありません。
そこで私は、授業を通して課題を解決する力を鍛えながら、「自分が解決したいと思える課題」を生徒自身が見つけられるようにするトレーニングを積ませることが、中学校では重要だとみなしています。

「使える学力」

物事を「知っている」ということと、知っていることを「使える」ということは、それぞれ明確に分けて考える必要があります。中教審の論点整理(平成27年)でも、「身に付けるべき知識に関しても、個別の事実に関する知識と、社会の中で汎用的に使うことのできる概念等に関する知識とに構造化される」と指摘し、新しい学習指導要領は「何を学ぶか」「何ができるようになるか」「どのように学ぶか」を重視しています。

これらのことを踏まえて、私なりの解釈を述べさせてもらえば、「知っていることを使えてこその学びだ」ということです。また、知っていること同士をくっつけて新しい知識を得ていくことも抱き合わせで必要だと思います。
実を言うと、受験学力も同じです。あまり意識されていないかもしれませんが、単純な暗記だけでは、入試を乗り切ることはできません。

本書に登場する学力の具体は、いくつかの能力の掛け合わせによって高められていくものです。例を挙げると、「学習内容を解釈する力」「学習のゴールを見通す力」「概念を砕ける力」「プレゼンする力」(効果的なアウトプットで相手を納得させる力)です。それらを総称して、本書では「使える学力」と呼称しています。

ここでは、本書で掲載しているいくつかの例を紹介したいと思います。

概念を砕く力—言い換えができる子

私は授業中、3年生の生徒に向かって、次のように指示を出すことがあります。
「じゃあ、今回は中学1年生用につくるから、中学1年生でもわかるように書いてね」
これは、生徒が書いた論語の解釈を1年生に渡し、実際に読んでもらって意味がわかるかを確かめ合う実践です。

3年生の誰が書いた文章なのか名前は伏せますが、1年生の教室に置かせてもらって読んでもらい、どれがわかりやすく、どれがわかりにくいかを投票してもらい、その結果をもとに3年生の授業を行います。

(中略)

また、私はRPGゲームの『ドラゴンクエスト』が好きなので、ドラクエで説明してもらうこともあります。「もし○○だったら〜」と、たとえ話を使った言い換えですね。

以前、「走れメロス」の単元で「メロスは激しい怒りに突き動かされて、無謀な決断をした」という生徒の発言を受けて、「『無謀』とはどういうことか、たとえ話でわかりやすく説明してみて」と促したところ、次のように答えてくれた生徒がいました。

「自分はスライムなのに、竜王を倒しに行くようなものだと思う」

むずかしい言葉は、単に文節や単語を分解しても砕いたことにはなりません。相手が理解しやすい言葉への言い換え、相手がイメージしやすいたとえ話、比喩を行使することによってはじめて、概念は砕かれます。

(具体の実践展開例は省略)

生徒を放牧する

生徒のモチベーションが上がらないと言われる単元があります。文法などの言語事項について学ぶ単元です。中学生には興味をもちにくい分野のようです。 そうはいっても、教師として教えるべきことはしっかり教えなければなりません。

私にとっては好きな単元の一つなので、授業がはじまると説明が多くなりがちです。すると、おもしろくない講演を聞かされているときのように、生徒の瞼は重くなります。まさに、私の興味と生徒の意欲のミスマッチですね。しかも、生徒を受け身にしてしまう一方通行の授業になるので、私にとっては大きなジレンマです。

そんなときに思いついたのが放牧です。すでに学習内容を理解している生徒に教師役を任せて、理解がおぼつかない生徒のもとに行かせて教えるというスタイル(生徒による机間指導)です。

他人から認められて不快に思う人はまずいません。課題を終わらせた生徒を見つけて認めてあげれば、(見た目にはわかりにくくても)内心では喜んでいます。
授業に放牧を取り入れると、彼らの承認欲求をも満たしてくれます。なにせ、教師から教師役を任ぜられ、授業中なのにクラス中を自由に歩き回って困っている同級生の学習を助ける権利を与えられるわけですから。

さて、教師役の生徒たちが少し鼻高々になっているところで、次の二つのルールを課します。

① けっして答えは教えないこと。教師役は魚の取り方を教えるのであって、魚を与える役割は与えられていない。

② 仲のよい友達だけではなく、困っている同級生に積極的に手を差し伸べること。

大人に聞くことが苦手だったり恥ずかしがったりしている生徒も、同級生に対してであれば気軽に聞くことができます。教師役の生徒は、自分が解けているという自負もあるから、困っている仲間を見つけると、“自分の出番だ”と言わんばかりに駆けつけるようになります。

ところが、しばらくすると、自分が任されたことが大役であることに、教師役の生徒は気づきはじめます。自分のやり方を伝えるだけでは、困っている生徒を助けられないことが多いからです。

理解がおぼつかない生徒は、自分が何につまずいているのかもわかっていないことが多いのです。ですから、まずは、相手が何に悩んでいるのかをつかむ必要があります。そのうえで、相手の理解の度合いに応じて、自分のやり方とは異なる方法を模索しなければなりません。

しかも、共に同じ生徒です。その気楽さからか、自分ではちゃんと教えたつもりでも、わからなければ遠慮なく「わからない」と言ってきます。つまり、困っている生徒よりも、理解している生徒のほうがより多くのことを考えなくてはならなくなるわけです。すると、教師役の生徒は、「自分が理解している」ということと、「他者に理解させる(教える)」ということは別物であることに気づくわけですね。

ここがミソです。困っている生徒を助けるためには、自分がすでに獲得している知識を、相手に理解しやすい言葉に翻訳しながら(言い換えながら)わかりやすく説明する能力が求められるわけです。

(後略)

人物相関図

私は、授業でよく「人物相関図」を制作する授業を行います。
「AさんとBさんは親子、CさんはDくんに想いを寄せている」といった、映画のパンフレットやドラマのホームページなどに掲載されている、登場人物の関係性を表す図を制作する授業です。
まず手はじめに、人気テレビ番組の人物相関図を生徒に提示し、人物相関図を制作するために必要な情報(要素)は何かを考えさせます。

人物相関図

ここで言う「相関」とは、双方向ではない一方通行の関係性、両親、子ども、兄弟姉妹といった家族間の関係性、仕事上かかわりがあるといった関係性では足りません。「人物同士がお互いに何かしらの利害関係をもっているなど、影響を及ぼし合える関係性」であることを示す情報(要素)の必要性に気づいてもらうわけです。

そのうえで、「これから物語を読むこと」「授業の最終的なゴールは、自分が読んだ本に登場する人物の相関図を制作すること」を生徒に伝えます。これは、自分たちがどこに向かって学習していけばよいか、あらかじめ見通しをもってもらうためです。

さて、そもそも何のためにこのような実践を行うのでしょう。それは、「物語に登場する登場人物には必ず何かしらの役割がある(無意図・無意味に登場させられているわけではない)」ことに気づかせるためです。

たとえば、主人公の変化と人物相関図を見比べながら意見を発表させると、あることに生徒は気づいてくれます。それは、「どの人物が欠けても、主人公が最終的な成長を遂げることができない」ということです。この共通性から物語の展開に目を向けさせると、一見意外に思えるようなクライマックスであっても、けっして偶発的なものではなく、不可避である(必然性のある伏線回収)であることにも気づくことができます。

(具体の実践展開例は省略)

お散歩授業

国語の授業で「なぜ、散歩をするの?」と不思議に思われる方もいるかもしれません。しかし、奇をてらっているわけでもありません。この試みは、「吟行」にほかならないからです。
「吟行」とは、一般に「詩歌を吟じながら歩くこと」「和歌や俳句の題材を求めて、名所・旧跡などに出かけること」を指しますが、それを授業に採り入れているわけですね。

俳句に限らないことですが、国語の授業と言うと、教科書掲載の教材を読み込み、その内容理解や心情理解を促す展開が一般的だと思います。実際、私自身もほとんどの授業ではそのように進めます。
しかし、授業はそれだけではない、教室の外に出かけて行って、生徒一人一人が何かしらの発見を教室にもち帰り、それらを材料として3領域(「書くこと」「読むこと」「話すこと・聞くこと」)につなげる授業をつくってもいいんだと考えています。こんな考えからはじめたのが、「吟行」ならぬ「お散歩授業」だったわけです。

「ちょっと、お散歩しにいこうか」

生徒たちにそう声をかけて出かけています。校舎や校庭、体育館など、ほかの授業の邪魔にならないように歩いて回ります。目に見えるものだけではなく、「諸感覚をフルに使って感じ取ろう」と生徒に促します。
校庭でサッカーをする生徒たちのかけ声、1階の渡り廊下の脇に苔むす植物、季節の風、肌にあたる日差し、給食室から漂ってくるいい香りなど、自分が感じたことであれば何でもかまいません。それらを感じるままに教室に持ち帰り(自分なりの発見を材料にして)俳句づくりを行うわけです。

(具体の実践展開例は省略)

最後に、「使える学力」について、留意すべき点を挙げておきたいと思います。それは、一人一人の生徒がこうした諸能力のすべてを一律に身につけなければならないわけではないということです。

実社会に出ると、1から10まですべて自分一人だけで完結させる仕事はありません。(どのような職に就くかにもよりますが)基本はチームで仕事を遂行するはずです。そこには必ず役割分担があり、役割ごとに求められるスキルが異なります。

「適材適所とは、異なる個性が噛み合うようにする組み合わせの最適化だ」とすれば、一人一人の人間がすべての能力を万遍なくもっているよりも、人によってもっている能力が異なっているほうが都合がよいのです。お互いに補完し合えるので、チームにとって望ましい結果につなげやすいからです。

学校では、勉強もできる、運動もできる、絵も歌もうまいし、リーダーシップにも優れているといった、一人で何でもできる(総合力の高い)生徒のほうが、一つの能力に秀でている生徒よりも評価が高くなる傾向があります。それに対して、実社会で活躍する人たちは、「できること」の総合力よりも、個別の能力の精緻化こそ重視します。

授業を通じてAくんは解釈力が上がっていく、Bさんは見通し力が上がっていくのでよいと私は考えています。教師としては、どの生徒にも確実に身につけさせなければならないベースとなる力があります。それらについては等しくつけながらも、プラスアルファのところは個別に伸ばしていけるような指導を心がければいいということです。

本書では、ほかにも「ビブリオバトル」「漢詩ラップ」「置き石授業」「英語との教科横断」「掛詞ギャグ」など、一見すると奇をてらっているように見えて、学習指導要領や教科書にしっかり準拠しつつ、生徒の学力を着実に向上させる実践の考え方と方法を掲載しています。

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