見えてきたゴールの姿!「学級じまい」のスタートアップ
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みなさんこんにちは。神奈川県で小学校の教員をしている高橋 優(たかはし・ゆう)と申します。
今回いただいた「学級じまい」というテーマですが、「えっ!学級じまい?まだまだ先じゃない?」と思われた方もいたと思います。3月の修了式がゴールだとすれば、まさに今の時期から「学級じまい」に向けてスタートしていくのです。
今回は、私が「学級じまい」に向けてやっていることを3つ紹介します。その3つとは、①カウントダウンカレンダー ②お楽しみ会 ③最後の手紙です。一つひとつ紹介します。
カウントダウンカレンダーとは卒業式や修了式までのカレンダーのことです。
30人学級なら30枚(30日分)のカレンダーができます。
今年度(令和5年度)を例にとって考えてみます。修了式は3月25日(月)。土日や祝日は排除するので、30人学級なら2月7日(水)からカウントダウンカレンダーを開始することになります。
よってカウントダウンカレンダーの作成は12月から1月にかけて行うことになります。
カウントダウンカレンダーは、必ず、学活の時間などで書く時間を確保します。画用紙を配付し、残りの日数とクラスのみんなへのメッセージを書きます。誰がどの日数のカレンダーを書くかは、子どもたちに希望をとります。希望が重なればじゃんけんで決めます。
書いた子本人が朝の会でメッセージを読み上げます。カウントダウンカレンダーの数字が小さくなっていくたびに徐々に別れを意識しだします。
また、カウントダウンカレンダーはクラスみんなが見える場所に掲示します。時折見返し、「もうすぐお別れだねー」などと話題にします。
学級じまいに向けて「お楽しみ会」も計画的に行なっていきます。ただし、次のような状態では実施しない方がよいです。
なぜ、上記の状態でお楽しみ会をしない方がよいのでしょうか。それは、お楽しみ会が「日常の指導」の延長であるべきだからです。お楽しみ会も授業であり、そこには教師の「願い」や「ねらい」があるはずです。
よって、上記のような日常の指導もきちんとできていない状態でのお楽しみ会は意味がありません。
それでは「日常の指導」の延長にあるお楽しみ会とはどんなお楽しみ会でしょうか。次に、私がお楽しみ会をする上で意識していることを紹介します。
1つ目は全員に役割があることです。
お楽しみ会では、必ずリーダー(実行委員)を決めます。その際、できるだけ細かく担当をつくります。たとえば、
などです。
役割を決めることでリーダーに「責任感」と「使命感」をもたせるようにします。
3年生を担任したときのことですが、景品担当の子が次のような提案を私にしてきました。
「先生!ゲームで勝った子のためにトロフィーをつくってもいいですか?」
景品担当の子は最初、折り紙でつくったものを景品としていました。その仕事にのめり込むうちにトロフィーという景品を提案してきたのです。
まさに責任感から使命感へと繋がった瞬間でした。このように担当を明確にすることで、お楽しみ会の準備に創造性が生まれます。
では、リーダー以外の子たちは何をすればよいのでしょうか?お楽しみ会の準備はリーダーに任せて、残りの子はただお楽しみ会を楽しむだけ……!それでは、リーダー以外の子に成長は見込めません。
リーダー以外の子たちには次のように聞きます。
「大切なことを言うね!実は、お楽しみ会を盛り上げるのはリーダーじゃありません。誰かわかりますか?君たちだよ!リーダー以外の子のがんばり次第で、お楽しみ会が盛り上がるかどうか決まるんです。君たちがどんなことをしたら、リーダーの子たちは嬉しいと思う?」
「そうやってリーダーを支えてあげてごらん。そしたら、お楽しみ会はすっごく盛り上がりますよ!リーダーを支えてがんばることを『フォロワーシップ』と言います!ぜひ、フォロワーシップを発揮してください!」
このような話をして全員をお楽しみ会へと巻き込んでいきます。
2つ目は内容の工夫をすることです。お楽しみ会の内容を「今までやっことのない遊びにしろ!」と言っているわけではありません。
遊びはなんでもいいのです。おにごっこやドッジボールでもやり方次第で楽しいお楽しみ会になります。
大切なのは「全員が楽しめるか」です。たとえばドッジボールをお楽しみ会でやったとします。普通のドッジボールだとドッジボールが嫌いな子は楽しめません。ドッジボールが嫌いな子も含めて全員が楽しめるにはどうすればよいかを考えることが大切だということです。
「ドッジボールが嫌いな子もいるから、ドッジボールの後に、おにごっこもやろう!」
でもいいですし、さらに、
「外で動くのが嫌な子もいるかもしれないので、教室で宝探しもしよう!」
としてもよいです。そうやって、内容を工夫していくのです。
3つ目は適切な時間にすることです。
たまに「学級会で話し合って4時間連続のお楽しみ会を実施した」という話を聞きます。
4時間お楽しみ会という非日常を経験させるという意味で価値がある実践ですが、お楽しみ会も「日常の延長」であるという立場の私は、4時間連続のお楽しみ会はやりません。
お楽しみ会の時間は最大で2時間(90分)です。それ以上は基本的にやりません。もう少し言えば、45分のお楽しみ会でも意外と多くのことができます。
お楽しみ会の価値は時間の長さにあるのではなく、内容の良し悪しにあるのです。
ここは、子供たちに大切に伝えたいところです!お楽しみ会だからといって特別なことは必要ありません。大切なのは、お楽しみ会に向けての「在り方」です。
そこに価値があるのです。これこそが日常の延長にあるお楽しみ会だと考えています。そして、このようなお楽しみ会での取り組みが「学級じまい」へとつながっていくのです。
修了式の日に、担任の思いを込めた手紙を読み上げます。20代の頃は一人ずつ手紙を書いて渡していたこともありますが、今は、学級通信の最終号として掲載することが多いです。次のような内容です(渡辺道治先生の学級通信「花は咲く」を参考に作成しています)。
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英語の学習中。ある学生が「I LOE YOU」を「私は君を愛しています」と訳した。それを聞いた先生は、次のように諭した。「日本人はそんな風に言わない。『今夜は月が綺麗ですね』とでも訳しておきなさい」
これは夏目漱石の逸話なのですが、私はとても素敵だなと思うのです。学生の訳は、直接的で誰にでも伝わる訳です。一方、夏目漱石の訳は、あふれる思いを言葉にできず、もどかしい感じがします。(ちなみに、作家の二葉亭四迷は、「I LOE YOU」を「もう死んでもいい」と訳しました。これは、情熱的ですね!!)
それぞれに好みがあるとは思うのですが、今の私には夏目漱石の訳がぴったりです。
3月からの休校。1ヶ月君たちと会えない日々が続きました。朝の会の全力じゃんけん、何だか楽しい健康観察、めちゃくちゃ盛り上がる百人一首、「誰一人置いていかない」を目指した授業、うるさすぎてちょっぴり叱られた給食、みんなで遊んだドッジボール・ドロケイ、帰りの会でのぶっとんだ賞…。
3月には、当たり前にあるはずだった日常がなくなったのです。道徳の時間に「神様からの贈り物」の学習をしましたが、まさに「学校での生活」は「神様からの贈り物」だったのです。
この通信を書くにあたり、君たちに贈る言葉を必死で考えました。「くやしい」「仕方ないよ」「もっとできることがあった!」「今をしっかり!」「ごめんね」「前を向いて!」どれも正解であり、どれも適切でない。日常の贈り物がなくなった今、この気持ちを直接的に言葉にするのは難しいなというのが正直な気持ちです。
熱で体がだるくて食欲もない。「もしかしたら、自分は大きな病気になったんじゃないか」そう思い、恐る恐る病院に行き「風邪です」と診断される。途端に、「ほっと安心」し、何だか少し元気になったことがあります。言葉によって心が安定するのです。
教室では言葉を大切にするようにしてきました。「心の矢印を相手に!」そんな言葉遣いを意識してきました。
だからこそ、「君たちに届く言葉は何だろう?」「今の思いをどうしたら伝えることができるだろう?」うんうん唸って考えたのですが、言葉にするのは難しかったのです。
だったらいっそ「無理して言葉にする必要はないんじゃないか」そう考えるようになったのです。
だから、最後にこの言葉をみなさんに贈ります。
「周りを見てごらん。これが1年間お世話になった教室ですね」
楽しい1年間をありがとう!!
保護者の皆様。1年間ありがとうございました!本日を持ちまして4年1組を解散いたします。
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1年間の感謝を込めて、別れを子どもたちに伝えます。学級じまいで別れをしっかりと伝えることが、次の新しい出会いにわくわくできると私は思っています。