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社会科でまちを育てる - 東洋館出版社
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社会科でまちを育てる

ISBN: 9784491045276

長瀬 拓也/著

セール価格 2,420(税込)
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タイプ: 書籍

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商品説明

子どもたちが社会科を生き生きと学ぶにはどうしたらよいか?
自分たちの「まち」を身近なものにするためには?
これからの社会科のあり方を提案する


■まちづくり的社会科の提案

地域から学び、地域に提案する社会科
まちづくり的社会科

社会は多様化が進んでいます。社会が多様化するということは、当然子どもたちも多様化していきます。その中で、教師が「おもしろい」と思ったことは、子どもたちにとって必ずしもおもしろいとは限らないことも。そこで、個人の「学びたい」思いのみならず、自分たちの地域社会の問題を知り、「学ばなければならない」「学ぶことで社会をよりよいものにしたい」といった切実さを大切にする必要があります。つまり、たんに「おもしろい」のではなく、「地域から学び、地域に提案する」視点を明確にしたいと考え、提案します。

■まちづくり的社会科の位置づけ
「まちづくり学習」「まち学習」といった既存の学習方法を生かし、社会科の新しい枠組みをつくることにしました。今までの問題解決を中心とした従来の社会科、生活科で行う「まち探検」をはじめとした「まち学習」、そして、まちづくりを構想し、地域の方と学び合う「まちづくり学習」に加え、4つ目の新しい社会科の枠を考えました。これが、「まちづくり的社会科」です。


■従来の社会科とまちづくり的社会科は何が違うのか
まちづくり的社会科は、あくまで社会科であります。そのため、学習指導要領に示された学習目標を達成することが求められます。その上で、社会科と異なるのは、地域を視点に社会的事象を見つめるという点にあります。小学校社会科は、学習内容が同心円的にローカルからグローバルへと展開されていきます。一方で、まちづくり的社会科は学習内容が同心円的に広がる中で、常に比較対象として地域の事例が一本の柱となって同時に展開されます。つまり、グローカル(地域の目線からグローバルを考える)の視点で社会的事象を見るという試みでです。そのため、学習内容は社会科より具体的になり、子どもたちにとっては身近な問題になりやすくなります。なお、「グローカル」については恩田守雄さんの考えを参考にしています。
※恩田守雄(2002)『グローカル時代の地域づくり』学文社pp.18-19

■自分たちの知っている「まち」と切実性
まちづくり的社会科では、学習問題に「家のまわりには米農家がある」といった、地域に対する共通認識を生かし、学習問題を作成します。その上で、「なぜ、私たちのまちでは、米の生産が盛んなのだろうか」と考え、単元の終末には、「私たちのまちの米づくりをもっと広めていくにはどうすればよいかを提案する」ことで、自分たちの学びがまちづくりにつながっていきます。そのため、子どもたちの学びに対する切実性も高まってきます。谷川彰英は、長岡文雄実践を「切実である」派、有田和正実践を「切実になる派」としました(この考えには異論が多くあり、どちらも切実性はあるという意見が多かった)。まちづくり的社会科であれば、その両面から切実性を高めることができます。なぜなら、子どもたちが普段から「なんとなくもっている」意識も含めたまちへの理解の援用も可能になり、自分たちが知っているまちのイメージとは異なる「インパクトのある事実との出会い」(由井薗健)も可能になるからです。つまり、自分たちの「まち」をテーマにすることが「切実である」「切実になる」の両面から学習に迫れることができるようになるのです。

■ハイクオリティーな教科教育書
これまで多数の著書を執筆してきた長瀬拓也先生の「本丸」ともいえる実践を紹介しています。60を超える過去の偉大な参考文献から最新の社会科授業を提案しています。

4年生 「伝統的な工業~美濃焼~」の実践
5年生 「京都米大作戦(米づくりのさかんな地域)」の実践
5年生 「環境を守る京都(環境を守るわたしたち)」の実践
6年生 「江戸幕府と政治の安定」の実践
6年生 「君も今日から政治家だ!市長選挙に立候補!(私たちの願いを実現する政治)」の実践

社会科教員なら必見の本であることはもちろん、すべての小学校の先生にもお勧めです。これからの社会を変えるのは子どもたちです。近年、「まちづくり」からさらに一歩進んで、「誰もが多様なスタイルで、まちと関わることを前提」とした「まち育て」という概念が広がってきています。「まち育て」には「まちを育はぐくむという想い」(北原啓司)が込められています。ぜひ、子どもたちのまちを育てるデザインを取り入れる社会や大人が増えて欲しいと願っています。自分たちの学びが社会に貢献されると、学ぶ意味や意義はとても高まっていきます。

はじめに


2020年、学校教育は岐路に立たされました。
新型コロナウィルスの感染拡大によって、学校での活動は大きく制限されました。これほどまでに、学校教育の意義が問われ、社会のあり方を考える年は、今までなかったと思います。
そして、社会のあり方を考えるということは、社会科のあり方も考える時が来ていると言えます。

本書は、私が修士論文でまとめた研究をもとにしています。しかしながら、新型コロナウイルスの登場によって社会が大きく変化した中、これからの社会科を案じ、今までの実践も取り入れ、大幅に加筆修正しました。
社会科は、ご存知の通り、そのねらいは「公民的資質の育成」です。子どもたちの言葉に変えれば、「これからの社会をつくるための力」を身に付けることだと言えるでしょう。しかし、社会科は「これからの社会をつくるための力」を身に付ける教科であったと言えるでしょうか。もう一度、そのことを問い直す必要があります。
そうした中で、私にヒントを与えてくれたのが今まで出会った子どもたちと「まち」の存在でした。

私は、京都の大学を卒業後、横浜市の小学校教員になりました。生まれ育った岐阜県ではなく、あえて縁もゆかりもない地で教職を勤めることになりました。自分の中では武者修行のような気分でした。2004年春、新横浜駅を降りた私は、そこから新しいアパートに向かいました。伝統と歴史がある古都、京都から一転、常に進化し続ける港町の横浜で新生活を始めることになりました。入居初日に大家さんから、「三日住めば浜っ子だから」と言われたことを今でも覚えています。浜風を感じ、開放的な雰囲気が漂いながら、それでいて下町のよさも残る「横浜のまち」での生活がとても気に入りました。

勤務校は、横浜駅からバスでおよそ30分程度のキャベツ畑が広がる郊外の学校でした。岐阜県の山村の出身者である私にとって、横浜にもこうした農家に接する場所もあるのかと驚きました。しかし、そうした「横浜のまち」の多面的な姿も気に入り、学校の周りをよく歩いたり、祭りに参加したりしたこともありました。初任者の頃は、学級をまとめることに苦労し、悩むことも多くありました。しかし、学校から帰ると、お洒落なお店があり、プロサッカーチームの試合があり、港が見える公園がありと、横浜のまちの一つひとつが私にとって刺激的でした。横浜市内を歩けば歩くほど、様々な出会いに驚き、元気をもらうことができました。そうした横浜の「まち」のもつ明るさや先輩の先生たちに厳しくも温かく励まされて、次第に学級も落ち着いてくるようになりました。

そうなると、もっと授業の質を高めたいという思いが湧いてきました。子どもたちにアンケートをすると、社会科は人気のない教科のナンバー1でした。ガックリすると同時に妙に納得もしてしまいました。ゲーム的なものを取り入れても、毎回できるわけではありません。授業のプランは単発的であり、子どもたちも主体性に欠け、受け身で授業をしているような感じでした。
そんな時、ある授業から子どもたちの変容が見られ、はっとしたことを覚えています。
それが「ダムに沈んだ村」を取り上げた授業でした。神奈川県には、水資源を確保するために、村がダムに沈んでしまうことがありました。このことを記録として残した教育用ドキュメンタリービデオが学校にあり、そのビデオを見た後に、「もし、今住んでいるまちだったらどうする」と投げかけました。今から思えば、やや乱暴な問いかけでしたが、子どもたちは、とても熱心に話し始めたことを覚えています。
「他のまちのために受け入れ、まちがダムに沈んでも仕方がない」
という意見があれば、「やはり、自分のまちは捨てたくない。ダムに沈むのはどうしてもいやだ」といった意見も出てきました。真剣に話し合う子どもたちの姿に心を動かされたことを今でも覚えています。
この出来事の後、ある言葉が今でもずっと私の胸の中で響くようになりました。
それは、「自分ごと」という言葉です。
これは、初任者の頃、横浜市の生活科の教育課程の研修で教えてもらった言葉です。この言葉がずっと心に引っ掛かっていたのですが、ダムの授業をきっかけに、私の中にすっと広がるようになりました。
こうした若い頃の経験から、子どもたちにとって住んでいる「まち」を視点にした学びを考えると、学びが「自分ごと」として捉えることができるのではないかと考えるようになりました。

横浜市の教員を務めた後、岐阜県の教員になりました。それは、父の教え子の方から「タイムカプセルを開けたいので立ち会って欲しい」と頼まれ、そこで父が書いた学級通信を読んだことがきっかけです。私が高校生の頃、中学校の社会科教員だった父は白血病で他界しました。子どもたちに対する父の熱い思いが伝わり、大好きだった横浜市と別れを告げることにしたのです。私が子どもの頃に見た教材研究に取り組む父の姿を思い出しながら、「子どもたちが社会科を生き生きと学ぶにはどうしたらよいか」「学習者の追究力を高めるにはどうすればよいか」そんな問いを横浜市から岐阜県に移った後も考え続けていました。

岐阜県では、小学校、中学校、また小学校と異動しましたが、ありがたいことにどの学校でも社会科を中心に研究できる環境に恵まれ、地域教材を使った社会科の実践をすることができました。また、他の学校の研究発表を見ると、高学年でもまちの人や文化、歴史を織り交ぜながら教材を開発して取り組んでいる先生たちに出会いました。教科書の内容をそのまま教えるのではなく、そこに「自分たちのまち」というエッセンスを加えることで授業が子どもたちにとってより身近なものになっていく様子を感じることができました。こうした出会いから、「地域学習を学ぶ中学年のみならず、どの学年でも地域(まち)を生かした社会科をつくることができないだろうか」と考えるようになりました。縁があって私学に移ってからも、社会科に「まち」を加えることを大切にしようと考えました。私学は、公立と違って様々な地域から子どもたちが通ってきます。そうなると、一見、まちを生かした授業や地域学習は難しいように思えます。しかし、逆の視点から考えれば、様々な地域のよさを伝え合うこともできます。また、「まちのことを教える」のではなく、「まち」という視点で社会の事象を見ることで新しい考えや気づきが生まれるのではないかと考えました。

そこで、さらに社会科について研究を深めたいと考え、岐阜大学大学院教育学研究科で学ぶことにしました。そして、指導教員の益子典文先生のご指導のもと、今までの実践を理論化したものが、「まちづくり的社会科」です。
本書では、今までの実践と研究を踏まえて、これからの社会科授業のあり方について、私の考えと実践を提案させていただきます。本書を通して、皆さんと共にこれからの社会科や学びのあり方を共に考えてくことができればと考えています。