編んだ授業を、大人に伝える。

執筆者: 山内 佑輔

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これまでの連載を通じて、山内先生の子どもとの関わりについて教えていただきました。
授業を編んで、伝える。
今回は子どもではなく、「大人に伝える」をテーマに進めていきます。

先生と子どもが共に“自由”(自分に理由がある)になり、「やりたい!」が生まれる授業。そのひとつひとつの授業を共通のメッセージで繋げ、「楽しい!」と同時に、図工の価値を伝えることによって、授業はとても豊かな時間になります。

ところが、授業の中で豊かな時間をつくることができても、それだけではまだまだ足りないのです。子どもにとって一層豊かな学びとなるためには、周囲の大人の、「意識の変化」が必要です。

「図工の授業は、作品をつくることが目的。」

こう思っている大人がとても多いと感じています。正直僕も図工の先生になるまではそうでした。

これを目的、ゴールとしてとらえてしまうと、どうしても作品の出来栄えで評価してしまいます。それも、大人の基準で子どもの表現を評価するのです。それは成績だけに限らず、大人が作品を見て、ふと漏らす感想もひとつの“評価”です。

例えば、第9回で取り上げた授業実践「学校を描く」で、Aさんが、非常に正確な写真のような風景画を描いたとします。Bさんは、何を描いているのか判らない抽象的な表現をしたとします。これを、大人が作品だけ見た場合、おそらくAさんの写真のような写実的な絵は「上手ね」「すごいね」といった感想を集めるでしょう。Bさんの絵はたぶん「こどもらしいね」「芸術的だね」といった感想が集まるのではないでしょうか。結果、Aさんの絵の方が「上手」「絵が得意なんだね」「すごい」など、いわゆる高評価が集まると予想します。この「上手」の意識が非常にやっかいなのです。

例に挙げたような風景画において「上手な絵」というのは、何をもって上手というのか、正直僕にはわかりません。写真のような絵が上手なのでしょうか。遠近感がよく表現されていて、幼児が描くような平面的な絵ではないものが、「上手」なのでしょうか。

そのような「上手な絵」を描くことが目的なら、僕の授業実践「学校を描く」は少しズレているのかもしれません。

みんなが「上手な絵」を描けるようにするためなら、技術指導を徹底的にする方が良いと思います。“まずは線を引きましょう”、“手前にはこれを描きましょう”、“奥に見えるものは、こう描くといいでしょう”、“色の塗り方は”……と、順をおって指導・制作していけば大人も納得の「上手な絵」が完成する可能性は高いです。

このような授業から生まれる作品は、1枚1枚は確かに「上手」かもしれません。ただ、子どもの作品を一同に飾ると、みんな同じような絵であることに気が付きます。

綺麗に揃った技術的な30枚の絵が教室の壁一面に並んでいる様子と、決して全部が技術的というわけではないが、全く異なる個性的な30枚が教室の壁一面に並んでいる様子、みなさんはどちらの方が安心しますか?

“安心する”という言葉で選ぶならば、前者の方を選ぶ方が多いのではないでしょうか。

でもそれは、作品だけを見ているから。図工は、作品をつくることが目的だと思っているからなのです。

「このような取り組みが図工である」という認識が学校教育のスタンダードであるなら、その認識を変えていきたいです。

学習指導要領に掲載されている図画工作科の教科の目標は以下となります。これを読むと決して、技術力の向上を目標にはおいていません。

表現及び鑑賞の活動を通して、造形的な見方・考え方を働かせ、生活や社会 の中の形や色などと豊かに関わる資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

対象や事象を捉える造形的な視点について自分の感覚や行為を通して理解するとともに、材料や用具を使い、表し方などを工夫して、創造的につくったり表したりすることができるようにする。

造形的なよさや美しさ、表したいこと、表し方などについて考え、創造的に発想や構想をしたり、作品などに対する自分の見方や感じ方を深めたりすることができるようにする。

つくりだす喜びを味わうとともに、感性を育み、楽しく豊かな生活を創造しようとする態度を養い、豊かな情操を培う。

子どもの作品から、いかに彼らの想いを廻らせることができるのかが大切な鍵です。授業の中で、子どもたちが自分自身で考え、手を動かし、悩み、挑戦したのか……つまり、作品そのものだけではなく、作品が完成するまでのプロセスに焦点をあてられるかが、とても大切になるのです。

先ほど例に挙げた、「学校を描く」における、何を描いているのか判らないようなBさんの抽象的な表現。仮にその制作にあたって、

“表現したい想いがあって、でもなかなか上手くいかなくて、何度も何度も描き直して、それで10枚目にようやく「これだ!」と見つけた表現だ”

と聞いていたらどうでしょうか。絵の見え方は変わってくるはずです。

教室の壁一面に並んでいる同じような綺麗な30枚と、決して全部が技術的というわけではない、全く表現が異なる30枚。良い悪いの話ではありませんが、プロセスを知っていれば見え方や価値感が変化してくことは間違いありません。

プロセスに焦点があたるようになると、作品は他の人に伝えるツールになります。そのツール(作品)をうまく活用すれば、「これ、どうやってつくったの?」「ここ面白いね!」などと、他の先生でも、親でも、子どもたちとコミュニケーションをとるきっかけになれるのです。「上手だね」というようなありきたりな感想ではなく、作品を一緒に見ながら、プロセスを聞き出し、それで会話が盛り上がります。さらにそのプロセスに対して、大人がポジティブなフィードバックを子どもたちに返すことができたなら、図工の授業も、その時間で生まれた作品も、一層価値が高まっていきます。

作品を「上手だね。」と褒めるよりも、そのプロセスを思い浮かべて「がんばったね。」「よく挑戦したね。」と褒める方が良い、というのは育児書などでもよく語られていることです。

図工=「作品をつくること」が目的という大人の意識を変化させるには、こうした「プロセスを大切にする」考えを一生懸命伝え続けるしかありません。

授業をつくり子どもに伝えるだけではなく、子どもたちを取り巻く周囲の環境も変化させていくことが、結果的に子どもを救い、学びの価値を高め、先生自身も「作品の見栄えをよくしないといけない」「上手な作品に仕立てなくていけない」といった意識から解かれ、もっと自由な授業ができるようになるのです。

僕が図工の研修を通じて学んだ中で、とても感銘を受けた林健造の言葉を紹介します。

幼児画の読みとり心得

1.おもしろいなぁと思わぬ限り、変な絵です。

2.驚きの心がない限り、つまらぬものです。

3.下手だなぁと見る限り、とても稚拙なものです。

4.人間の子ってすばらしいなぁと思わぬ限り、いたずらにしか見えません。

5.子どもの声をきこうとしない限り、絵からのメッセージは分かりません。

林健造

1944年東京高等師範学校芸能科を卒業後、愛知第一師範学校助教授、金沢大学助教授、お茶の水女子大学講師、同附 属小中学校教諭、十文字学園女子短期大学教授などを歴任し、日本美術家連盟会員、二紀会会員を務めた

学校の授業において、子どもたちに上手な絵を描かせる必要があるのでしょうか。もちろん本人が技術を望んでいれば、話は異なります。ただ学校における図画工作科の授業の時間は、技術指導を行う絵画教室、工作教室ではありません。見方、捉え方を変えるのは大人の方なのです。