算数の「フィクション」と「ノンフィクション」

算数の「フィクション」と「ノンフィクション」

資質・能力を育成する学びの鍵として、「オーセンティック(真正な/本物の)」という概念があります。
教科教育(主に算数)の実践研究を教育心理学の視点から進めてきた武蔵野大学の小野健太郎先生は、「子どもの既有知識を活性化させる学びのためには、学ぶ意義を実感できる授業が欠かせない」と言います。
今回は、オーセンティックな学びのヒントをつかむため、小野先生の新刊『オーセンティックな算数の学び』より、冒頭部分を先行公開します(一部、本連載用に再編集)。

太郎君はくだもの屋へ行き、1本15円のバナナを2本と、1個25円のリンゴを3個買い、つぎに魚屋へ行って1匹70円のサンマを2匹買おうと思ったら30円足りませんでした。
さて、太郎君はいくら持って家を出たでしょう。

オダギリジョー主演のドラマ『時効警察』(テレビ朝日系、2006年放送)をご存じでしょうか。第8話冒頭。総武署、時効管理課の4名が机を囲んでいます。岩松了演じる熊本課長から、唐突に算数ドリルの問題(冒頭の問題文)が他の演者に出題されました。課長曰く、「最初に正解した人には、いいものをあげます」だそうです。何がもらえるのでしょうね。
ちなみに、15×2 + 25×3 + 70×2 − 30 = 215。答えは215円。
ところが、オダギリジョーをはじめとする演者は、答え(215円)を求めることそっちのけで、こんな会話に興じます。

「1本15円のバナナって、それいつの話ですか?」
「つーか、なんか哀れになるね。サンマ買おうと思ったら30円足りないって」
「子どもでしょう? 魚屋さんもそのくらいまけてあげればいいんですよ」
「意外とひげボーボーのおっさんかもしれませんよ。40がらみの」
「太郎『君』でしょ。『君』付けでしょう? 子どもでしょう」
「でも70歳くらいの視点から見た問題かもよ?」
「70歳から見ればねぇ」
「そっか、40がらみなんてまだまだ子どもですねぇ」

こんな会話を受けて、あきれ顔の課長が「君たちは、あれだねぇ。全く問題を解く気がないね」と伝えると、他の3人の演者は言います。

「子どもの頃から算数ダメなんですよ」
「ミー、トゥー」
「じゃあ、僕もミー、トゥー」

文章だけでは雰囲気が伝わりにくいかもしれませんが、この一連の流れが、私は好きです。

確かに、本日(執筆時2021年7月15日)バナナの値段を私の職場近くのスーパーマーケットで確認したところ、バナナ一房4本(260円)でした。また、自宅近くのコンビニエンスストアで販売されていた、フィリピン産の個包装(1本)のバナナは税抜き100円です。
さらに調べてみると、バナナの小売価格は過去40年間で増減を繰り返していますが、少なくとも40年前より現在の方が、劇的に価格が上昇したという事実はなさそうです。バナナ1本15円の時代はいつのことだったのでしょう。
ならば、この「それいつの話ですか」問題を、サンマの価格を頼りに推測したいところです。
ところが、サンマの価格は近年、その漁獲量との関連から高騰しつつあるものの、年や時期、地域によって変動が大きいようです。中1尾あたりの価格として70円というのは、比較的安いようですが、かといって令和の現在も非現実的な価格ではありません。決定打に欠けます。 「子どもの」太郎君に30円不足の場合、「まけてあげればいいんですよ」という発想はいかがでしょうか。「確かにそうだよなぁ」とも思う半面、「魚屋」という小売業態も内陸部を中心に減少しつつありますので、そもそも「子どもの太郎君」が「魚屋」で買い物をするというシーンそのものに、お目にかかることが困難かもしれません。
付言すれば、そもそも「子どもだから、たった30円なら、まけてあげる」という発想そのものも、なくなりつつあるのかもしれません。古きよき『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代では、しばしば起こり得たことです。しかし、現代はシステマティックな資本主義経済の論理に、大人だろうが子どもだろうが、放り込まれる世界です。スーパーマーケットやコンビニエンスストアで働くレジ係の方々は、30円不足している場面で「子どもならば、まけてあげる」裁量は必ずしももっていないようです。さらに、都市部では急速にセルフレジに置き換わっている現状を鑑みてください。セルフレジのAIが「子どもの年齢」を顔認証で判断して「12歳未満ト判別。30円以下ノ不足金額ナラバ、値引きイタシマス」となるのは、まだ過分にSFですね。
また、ある家電量販店に勤めている知人から聞いた話によれば、その店舗では店員の裁量で「値引きできる価格」の上限が商品ごとに厳密に定められているそうです。買い手が大人であるか、子どもであるかは考慮されません。なかなか世知辛い世の中です。

さて、『時効警察』はあくまでドラマです。これはデフォルメされて扱われた算数の「問題」にすぎません。が、しかし、です。デフォルメされていることを割り引いても、こういった「フィクション」の香りがする算数の問題に、既視感がありませんか(*)。ここまで露骨ではなくとも、私たちが解答することを強いられてきた算数の問題には「フィクション」が付随していると、多かれ少なかれ感じたことのある方は少なくないはずです。小学校高学年の頃から中等教育まで、私はしばしば「フィクション」を感じていました。

ここで、大急ぎで付言するのですが、算数の「フィクション」といっても、全くのでたらめという意味ではありません。ここで言う「フィクション」は、先ほどのバナナ&サンマ価格問題、または魚屋さんでまけてもらう問題に象徴されるように、「『現実の世界』とのつながりが希薄な状況」を意味しています。また、大変に重要な点なのですが、本書で一貫して用いられる「フィクション」という表現には、必ずしもネガティブなニュアンスを込めていないということを頭の隅にとどめておいてください。
「バナナの価格、サンマの価格は適正か?」「令和のキャッシュレスでの支払いが進む昨今、太郎君は魚屋で30円まけてもらえるのか?」などなど、正面を切ってその問題の背景を問い返すと、「あれ?」という疑問が湧いてくるような状況を指して、算数の「フィクション」と呼ばせていただきました。

本書で考えたい「問題」の端緒が、ここ、算数の「フィクション」にあります。
先ほど申し上げた通り、多かれ少なかれ私たちの経験にもあるであろう、この算数の「フィクション」。これを見つめ直して学びを再構築することが、質の高い算数科の学力の形成、ひいては未曾有の社会の変化を生き抜くこれからの子どもたちの学ぶ力の形成に寄与する。これが私の「仮説」です。

[ 教育学科の学生Aさん ]
「いやいや、算数の学習って、多かれ少なかれ『そういうもの』じゃないですか。いちいちそんな揚げ足を取るような裏読みをして、バナナの価格が適正かどうか、サンマの旬はいつかなんて考えていたら、肝心の算数の学習が進まないでしょう?」

[ 小学校のベテラン教師B先生 ]
「現実の場面に即して、算数を活用することは大いに結構。だけど、『うそも方便』というじゃないですか。まずは、シンプルな場面や数値で算数の知識や技能、考え方を身に付けてから、その後で現実の場面に活用すればいいんですよ」

「仮説」に対して、あちらこちらから聞こえてくるのは、AさんやB先生のような声です。確かに、Aさん、B先生のおっしゃることには一理ありそうです。でも、立ち止まって、算数の「フィクション」にまつわるあれこれの「問い」を考えてみませんか。

  1. なぜ、算数の問題に生じる「フィクション」を私たちは受け入れてきたのでしょうか、あるいは受け入れてこられなかったのでしょうか。
  2. 算数の「フィクション」から始まる算数とは異なるスタート地点から組み立てられる算数、すなわち「ノンフィクション」から始まる算数を構想するための手掛かりはどのようなものでしょうか。
  3. 「ノンフィクション」から始まる算数の条件を満たした学びや授業は、どのような具体的実践として立ち現れてくるのでしょうか。
  4. 算数の「フィクション」が本来もつ価値を実感できる学びや授業は、どのようにすれば構想できるのでしょうか。

これらの問いに答える鍵が「オーセンティック」概念です。もともと「オーセンティック」とは「真正な」や「本物の」という意味を表す形容詞ですが、この概念は教育界隈で学びを問い直す鍵としておよそ30年以上にわたって語られてきました。また、オーセンティック概念はそもそも「算数教育」という固有の領域で登場したわけではなく、より広範な領域を射程に入れて語られてきた概念です。
本書では、「オーセンティック」概念がなぜ先述の問いの答えを示す鍵になるのかを明らかにした上で、ひいてはコンピテンシー・ベイスの学力形成に寄与するオーセンティックな算数の学びや授業の実際をご紹介していきます。

* こういった算数や数学の問題にまつわる「フィクション」への指摘は、インターネット上ではたびたび繰り返されている(例えば、ABEMA TIMES「数学の問題にイライラ…中1息子からの鋭いツッコミに共感の声 投稿主『歴史は繰り返すんだな』」2021年8月25日配信)。本書ではその「フィクション」を追及し、算数・数学の不毛性を論ずることが目的ではない。むしろ、なぜそのような「フィクション」が生じるのかを明らかにした上で、あるべき算数・数学教育の姿の一つのモデル(オーセンティックな算数)を提示することが目標である。

[参考文献]

石井英真(2015)『今求められる学力と学びとは––コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影』日本標準

田中耕治(2010)「Ⅲ 教育評価の位相と展開 4 真正の評価」田中耕治【編著】『よくわかる教育評価[第2版]』ミネルヴァ書房、pp.34-35

GD Freak!(2022)「さんまの価格の推移と地域別(都市別)の値段・価格ランキング(安値順)」(2022年6月12日閲覧)

日本と世界の統計データ「バナナの小売価格の長期推移」(2022年6月12日閲覧)

水産庁(2017)「第1部 第2章 第4節⑵ 水産物消費の状況」『平成29年度 水産白書』(2022年6月12日閲覧)