なぜ、算数を学ぶのか

なぜ、算数を学ぶのか - 東洋館出版社

〈 齊藤一弥先生インタビュー 後編 〉前編では、子どもの学びの背景にはまず生活・行動改善のサイクルが存在することを確認しました。話はしだいに、現行の学習指導要領の改訂の趣旨を踏まえた、小学校算数の本質や教科の役割、教材の意味について深まっていきます。算数・数学を学ぶよさとは何なのか、齊藤一弥先生のインタビュー後編をお楽しみください。

算数という教科が果たす役割が何か。もっと言うと、なぜそんな教材を教えているのか。
そこに目を凝らさない限り、「真正な学び」に対して、より深い理解や共感は得られないように思います。
数学がつくられてきた歴史を問い直せば、算数・数学が目指そうとしていることっていうのは、この間、何も変わっていない。その変わらない大事なものとして、現行の学習指導要領では、過去6回の学習指導要領において登場してきた重要な資質・能力を目標に位置付けたんです。その意味で、今回の学習指導要領にはこれまでの大切な理念が集約されていると言っていい。
例えば「統合的・発展的」という言葉が出てくる。統合・発展はある意味で算数・数学の一丁目一番地で算数・数学のよさそのものです。昭和43年の学習指導要領の時までは強調されていましたが、それ以降の学習指導要領には出てこなくなるんですよ。

学んでできるようになったことを改めて振り返ってみると、一見異なるものに見えるようだけれども、「集合」という考え方、「拡張」という考え方、「補完」という考え方の大きく三つの視点から考えれば、多くのことがそれらに束ねられて収束していきます(*編集注:例えば、次のような視点から発展的に考察を深める場面では、統合的に考えることが重要な役割を果たしている。①「2、4、6…から共通の性質を見いだして「偶数」という一つのものにまとめるというように集合から捉える。」②「整数の乗法の意味や形式を、小数、分数の場合にも考えられるように拡張して捉える。」③「乗法九九を構成する際に、1の段を加えて、九九表が完全になるように補完して捉える。」以上、『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 算数編』26頁より)。「拡張」という概念を入れ込めば、ちょっと新しいものが取り入れられたように思われるかもしれないけれど、考え方や範囲を広げてみれば同じと見られるよね、というのが「統合」です。
だとすれば、一体どこまでならその考えが使っていけるのかを絶えず考察の範囲を広げて考えるのが「発展」。そういう言葉が、今回の学習指導要領で約50年ぶりに復活したわけです。物事をそういう目で見られる子どもを育てていきたい。

だからこそ、あれだこれだと次から次へとコンテンツを並べて、暗記して、それを再生する、なんていう馬鹿げたことはやめて、同じようなものは、いったん全て束ねて、教えることはなるべく少なくして、より豊かに学ぶ。Less is moreの考え方ですね。

先ほどの弁当屋の授業で、計算で推定値を出しましたよね。教師として、私は必ず言う。「本当に大丈夫ですか? 答えを確かめてごらん」……これ、何のために確かめているのか、分かりますか?

――見直して、振り返ることの大事さを理解するためですか。

「自分の仕事に責任を持つ」ためです。自分のやったことが無責任ではなくて、「本当に自分はこれでいいですよ」って、言える子にしたい。
「自分がやったことが本当にこれで大丈夫か」というのは、まさに批判的思考です。「自分が言っていることは、他者に正しく的確に、分かりやすい表現として伝わっているのかな」「自分がやっていることが本当に、自分の考えたことを的確に表現してるのかな、もっと工夫したほうがいいのかな」と批判的に思考する。
現行学習指導要領の目標にある「簡潔・明瞭・的確に表現する」もまた、昭和26年の学習指導要領(試案)から約70年ぶりに復活した能力ですね。

――なるほど……思い至りませんでした。「批判的思考」って、「自分の仕事に責任を持つ」ということなんですね。

そうでしょう。だって、例えば国語で文章の推敲をしますけれど、「これで本当に自分の言いたいことが、相手に伝わるかな」と推敲をするのは、自分の書いた文章に責任を持つということです。
よりよい自分でありたい。よりよい自分になりたい。そのために、自分がやった仕事をもう一回クリティカルに見つめ直してみる。相手を批判することではなく、己に問い返すということなんです。だからこそ、日々の生活改善、行動改善というものがくっついてないと、うまくいかないんです。他人事になってしまいますから。「自分事に落とせるかどうか」というのはそういう意味で大事なんです。 自分自身の生活・行動改善。繰り返し自らに問い、そして、自分がやっている仕事に対して「これでいい」と言えるようになる。そのためにやってるんですよ、教育って。 だから、他者と比べてみて「本当に大丈夫か」と言って共有するのは、友達に自分の考えをただ単に紹介しているんじゃないんですよね。友達と共有することによって、自分の考えが、より自分が主張したいことにきちんとたどり着いてるかどうかチェックをしている。
中学校2年の数学の図形の論証なんて、なんでそんなことをしているのか? あれは、他者に伝えるためです。
人に伝えるためには、正しく伝わらなければいけない。簡潔・明瞭・的確な表現で数学的コミュニケーションをして伝わらなくてはならないから、繰り返し精査するわけで、自分の中で分かっているだけでいいのであれば、あんな証明をわざわざ書く必要ないでしょう?
数学で大事なのは、根拠を明らかにして、筋道立てて説明することです。そのことで、より的確な判断ができるようにしているわけです。だからこそ、授業の中で繰り返し「なぜ決まらないんだろう」と問う。それは「決まらない根拠」、さらに言えば一般性を問うている。

「根拠」を問う、「よさ」を問う。算数・数学という教科が何のために子どもにとって価値あるものとして、教科として、存在しているのかを教師が理解できているからこそ、日々の授業でその視点が明示的に指導されます。
「明示的に指導される」ということは、言い方を換えれば、各視点での問いが子どもたちに対して、教師から常日頃から投げかけられるということ。もちろん、子ども自らが問うべき問いを問えたらいいのだけれども、全ての子どもが最初からそれをできるわけではないから、教師が明示的に問いかけ続けることによって、いずれ子どもたちがそういう視点で自らに語りかけていくことができるようになれば、それが一番理想ですよね。

――トマトの授業やお弁当屋さんの授業は、事象としてはいわゆる「日常の事象から見いだした問題を解決する活動」すなわち「数学的活動の日常のサイクル」の話であったかと思いますが、もう一方の「算数の学習場面から見いだした問題を解決する活動」すなわち「数学的活動の数学のサイクル」については、どう考えればいいですか。

後者は、数学という教科を学ぶことによって、それこそ統合・発展のようななるべく身の回りのものを簡潔に処理していくための追究姿勢を育てているんですね。
つまり多くの場合、ある程度のレベルを超えていくと、数学はもはや日常生活においてはほとんど用いられることはないでしょう。三角関数やベクトルは日常生活で使わないけれども、しかしそこでやっている営みとは何かと考えると、統合・発展させてどこまでできるのかという、その追究姿勢や構えなんです。
多くの人たちにとっては、算数・数学をそのように学ぶことで例えば「似たような問題はなかったのかな」「この問題をどのように分解していけば、構造が見えるようになるのかな」といった見方が、自分の生活や仕事、日常の行動の改善に大きく生きていくことになる。
もちろん、その中で何割かは数学そのものを生活の糧にしていくような職業に就く人もいたりするでしょう。あるいは、それらを使いながら、さまざまな商品の開発を専門的に行う人も出てくるでしょう。
小学校において、その数学的事象については、純粋数学で構成すると子どもにとって分かりにくくなりすぎますから、多くの教科書会社が“日常っぽい”場面を張り付けて「学習場面」として教材を組織しているわけですね(*編集注:「数学の事象」と「算数の学習場面」については、小野健太郎『オーセンティックな算数の学び』247-250頁に詳しい)。
けれどそこでは実は、まさに統合・発展といった数学らしい思考、数学そのものを創り上げている思考を育てている。冒頭からずっと述べてきていたのは、それが日常の生活・行動改善にも援用できるものであったよね、という話でした。

例えば、小学校4年生で、平行垂直という視点から図形を弁別する際、「いろいろな図形をとにかく描いてみて、そして仲間分けしてみましょう」といった、そういう一応、“生活っぽい”“活動っぽい”ものを入れ込むわけですね。
そうすると、何だかたくさんの分け方が出てきて、どうもクラス全員が一様に同じ分け方にはならない。「このクラスの分け方は、一つに決まらないじゃないか」と、ここでも「ズレ」が生じることになる。4通りも5通りもある分け方がある状態を、そのままよしとするのか。それとも、ある程度、みんながそれぞれのアイデアの共通性というものを探す中で、「やっぱりこういう分け方がいいんじゃないか」とまとめていくのか。やはりこれもまた、生活・行動改善です。
ですから、ここにおける算数の「問題」というのは、「仲間分けしてみましょう」ではなくて、「4種類も5種類も仲間分けできてしまったものを、一つにまとめられないのか」です。そういう思い、数学的な追究姿勢がそこになければならない。

さて、では一体どういう視点で一つにまとめていくのが一番いいのかと考えた時に、平行、垂直という構成要素の位置関係に着目しながら、辺の関係を考えていけば、もうそこからは「数学の世界」の話になっていく。学年が上がっていくにつれて、このような「算数の学習場面」というかたちで数学の事象から問題を解決していく割合というのが大きくなっていく。さらに、中学校へ上がると、「数学の世界」が存在することになります。数学の中で行動改善をする世界。多項式の因数分解なんて生活に全く張り付いていませんからね。

一方で、中学校でも高等学校でも、あるいは数学だけでなく他教科でも、当然「生活の行動改善」の世界はやはり同時に存在し続けます。データの活用も箱ひげ図も高等学校の応用数理もむしろ「生活」です。関数や統計などは、まさに問題解決の道具ですし。
つまり、身の回りでなんとなく判断していることというのは山ほどあるのだけれども、その判断していることの裏側に数学があった、ということ。あるいは裏側に科学や物理があった。理数教科の場合は特にそういうことが多いのだけれど、それが体系化されていないし、意識もされていないので、ある意味、「教科を教える」ということはそこを体系化していく営みなんです。

――齊藤先生のご著書『数学的な授業を創る』(東洋館出版社)の中で、「オーセンティック」という言葉が少し登場するページがあります。「オーセンティックというのは、日常事象のことだけではありません。今まで学んだことはすべてオーセンティックなのです」(105頁)という2行。「すべてオーセンティック」だというこのワード、すごく力強い表明だったと思うのですけれど、真意としてはまさにここまでのような話を丸ごと含めてのことだったということですか。

そういうことなんですよ。そして、なぜオーセンティックにしたいのかというと、教科の役割をはっきりさせたいからです。私は。
子どもが成長していく上で、教科が果たすべき役割というものは、一体どういうことなのかということにもっと関心が集まる必要がありますし、そもそも「資質・能力ベイス」というのは、私に言わせるとそういった教科の持つ役割……もっと言えば「可能性」というか。

――可能性。

もちろん、「資質・能力ベイス」は子どもの有能さを引き出してそれを生かすことだということは、よく言われることなのだけれども、教科の側から見ると、その教科が持っている可能性が、本当はもっとクローズアップされるものでもあるはず。
例えば、必要以上に細かく追求しなくとも、目的に応じた詳しさで分かっていれば事足りることって、日常にたくさんあるでしょう? それは概数や概算、概則という考え方があるからですよ。算数という教科が、実は子どもの生活をよりよいものに変えている、という可能性。その可能性が見えてくるといい。

ただし、社会変化に応じて教材の「示し方」が変わるということは起きますね。「およその数」なんて、まさに私たちの日常に張り付いていてたくさん体験されているけれど、一方で、今時は電子決済ですから、教材の「示し方」はこれまでとは変わるでしょう。それは仕方がない。だけど、その教材でねらっているものは何か、ということです。つまり、その電子決済のアプリが、いくら口座と連携していると言ったって、補充できるお金が無尽蔵にあって永遠に次から次へと支払えるということではないわけですからね。

だから、教材研究を三つの視点からやり直すべきということを最後に言っておきたいです。 一つめに、「なぜ/why」の視点。「なぜ、これをやるのか」を考えると、おのずとそのオーセンティックな教材を組織していく上での視点が見えてくる可能性がある。 二つめに、「何を/what」の視点。内容と方法です。今日ずっとお話ししてきた数学的活動のサイクルを回すという「方法」も、今回の学習指導要領では学習対象なんです。これまでは、面積を指導するとか、かけ算を指導するといったことだったけれど、それをどのようなサイクル(四つのフェーズ)で回していくのかということ。PPDACという統計的探究プロセスだったら、五つのフェーズを回す、ということになりますが、それらも学習対象だということです。 最後に「いかに/how」の視点。どのように数学らしい文脈にするのか。生活・行動改善のPDCAマネジメントのなかでどのような「ズレ」から問題を派生させて、どのように、より数学らしい文脈にしていくかを考える。そして、それを単元という桁でどうデザインするのかを検討する。

――「ズレの発見」をするための目を先生がたが養うには、何よりも教材研究が勘所であるということがよくわかりました。それに、教材研究の重要性は、齊藤先生が長年繰り返しおっしゃっていることですもんね。

そう。教材研究以上の授業なんて、できないんですよ。

(聞き手・構成:東洋館出版社 河合麻衣)

齊藤一弥(さいとう かずや)
島根県立大学人間文化学部教授。横浜市教育委員会指導部指導主事室長等を経て現職。高知県教育委員会事務局学力向上総括専門官・教育課程推進専門官、文部科学省中央教育審議会教育課程部会算数・数学ワーキンググループ委員、学習指導要領等の改善に係る検討に必要な専門的作業等協力者(小学校算数)。著書に『数学的な授業を創る』(東洋館出版社)など。