図工の「造形遊び」のおもしろさ

図工の「造形遊び」のおもしろさ

これからの時代に本当に必要な学び。山内佑輔先生は、「これからの図工は、大人(先生)が子どもに教える授業から、子どもと大人が共に学ぶ、共創の場に変化していく」と言います。
Edupiaでは「創造力を高める」をキーワードに、山内先生の取組みについてお伝えします。第2回目は、既成の概念にある図工の先生からどうやって抜け出したのか、学習指導要領の考え方と、「子どものやる気」が起きるには、自由の意味について考えます。
これからの時代に本当に必要な学び。山内佑輔先生は、「これからの図工は、大人(先生)が子どもに教える授業から、子どもと大人が共に学ぶ、共創の場に変化していく」と言います。
Edupiaでは「創造力を高める」をキーワードに、山内先生の取組みについてお伝えします。第2回目は、既成の概念にある図工の先生からどうやって抜け出したのか、学習指導要領の考え方と、「子どものやる気」が起きるには、自由の意味について考えます。

みなさんは、「図工の先生」と聞いてどんなイメージをもちますか?
アートに広い関心と知識があり、絵を上手に描け、手先が器用で、ちょっとしたものづくりもお手のもの。描き方、作り方を教えてくれて、先生に習うことで、今までできなかったような作品ができる……
こんなイメージありませんか?
そうだとしたら、僕は全てに当てはまらない、図工を教えられない図工の先生でした。
もちろん道具を安全に使うための説明はします。そこは必死に習得しました。何事も安全第一です。
正直今でも技術指導に自信はありません。大人が見て上手な絵を描く方法や、大人顔負けの工作を、誰もが作れるようになる方法も教える自信はありません。
ただ、図画工作科という教科の取組には、一律の正解はないのです。正解があるとすれば、それは製作者である子ども本人が決めるのです。なので、僕は子どもがそれぞれの「自分にとっての答え」を見つけられるように一緒に探したり、悩んだり、話を聞くことに一生懸命取り組んできました。

「これをやれって言われたからやったんだ。」ではなく、「やってみたいからやったんだ!」と笑顔で言えるような、子どもの「やってみたい!」を生み出したい。そんな想いで仕事をしてきたのです。
そういう図工の先生になれたきっかけは、連載1回目でも例に挙げた「造形遊び」の授業でした。通信教育過程のスクーリングの授業で、図工を改めて学んだ時には、学校にこんな授業があったのかと衝撃でした。

実は「造形遊び」の歴史はそれほど古くはありません。小学校の図画工作において造形遊びが導入されたのは昭和52年の学習指導要領。当時は低学年に対した「造形的な遊び」という内容でした。それが平成元年の改訂で「造形遊び」として中学年まで広がり、その後平成10年の改訂で全ての学年に位置付けられました。

学習指導要領上、造形遊びとは「児童は、材料に働きかけ、自分の感覚や行為などを通して形や色などを捉え、そこから生まれる自分なりのイメージを基に、思いのままに発想や構想を繰り返し、手や体全体の感覚などを働かせながら技能などを発揮していく。
これは遊びのもつ能動的で創造的な性格を学習として取り入れた材料などを基にした活動」であり、「結果的に作品になることもあるが、始めから具体的な作品をつくることを目的としない」「思い付くままに試みる自由さなどの遊びの特性を生かしたもの」と記されています。

図工の授業というのは、つくるもの/かくものが決まっていて、その与えられたテーマについて、いかに上手に丁寧につくれるか/かけるか、という学習だと思い込んでいました。
僕もそういう図工の授業しか、受けてきたことがないのです。僕は、この「造形遊び」の衝撃から、図画工作科そのものに改めて興味をもち、そして自分自身の大変な勘違いに気が付きました。

表現及び鑑賞の活動を通して、造形的な見方・考え方を働かせ、生活や社会 の中の形や色などと豊かに関わる資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

対象や事象を捉える造形的な視点について自分の感覚や行為を通して理解するとともに、材料や用具を使い、表し方などを工夫して、創造的につくったり表したりすることができるようにする。

造形的なよさや美しさ、表したいこと、表し方などについて考え、創造的に発想や構想をしたり、作品などに対する自分の見方や感じ方を深めたりすることができるようにする。

つくりだす喜びを味わうとともに、感性を育み、楽しく豊かな生活を創造しようとする態度を養い、豊かな情操を培う。

小学校学習指導要領(平成 29 年告示)

これが図画工作科の目標です。

僕は造形遊びに出会うまでずっと、図工は作品をつくるのが目的だと思っていました。しかし、学習指導要領では作品を上手に仕上げることなど、目的にも目標にもしていませんでした。その制作過程にこそ大事なことが詰まっていて、作品の出来栄えが全てではないことを、図工を改めて学ぶことでようやく理解できたのです。

絵が上手に描け、手先も器用で、ちょっとしたものづくりはお手のもの。そんな先生が、描き方、作り方を児童生徒に教え、取り組ませて、作品をつくらせて、評価する。図工はそういう学びではなかったのです。ワクワクするような楽しい提案をして、それぞれが自分なりの正解を見つけ出せるように寄り添い、共に考え、悩み、そして試し、子どもたちのそのプロセスを集めて、フィードバックする。僕が担っていた図工の先生とはそういう仕事なのです。

造形遊び以外にも、絵に表す、立体に表す、工作に表す、それぞれどんな題材においても大事なことは変わりません。子どもたちが「やってみたい!」と思える環境づくりが整えば、あとは一緒に考えていけばいい。そこに図工美術の特殊スキルはそれほど必要なくて(もちろんあるにこしたことはないのですが)、自分でもできると思えたのです。

造形遊びの授業は自由な要素が強いので、時に放任と捉えられてしまうことも少なくありません。でも、自分勝手やわがままでも、制限のない「自由」でもなく、「放任」とも明確に違うのです。

僕が先生としての在り方にとても影響を受け、バイブルにしている楽天大学学長・仲山進也さんの著書「組織にいながら、自由に働く(日本能率協会マネジメントセンター、2018)」では、自分がやりたくてやっている、「自分に理由がある」のが「自由」。 他人がやりたくてやる、「他人に理由がある」のが「他由」と語っています。

つまり、授業という教師主導のカリキュラムが進行されていく中で、いかにしてそれを「先生がやれって言うのでやる」から、「自分がやりたくてやっている」へ、子どもたちを、仲山さんの定義する「自由」を感じられる状態にできるかが鍵になるのです。

材料だけ与えて、はいどうぞ!と放任する訳ではなく、子どもが「自分がやりたくてやっている状態」をつくるために、僕はいくつものステップ(足場)をつくったり、場の流れを察知して、即興的に全体への声かけや個への寄り添いをする。これに、僕はこれまで力を尽くしてきたのです。

ここからは、その「自由」をうむステップについて、これまでの実践をお話ししていきたいと思います。大きく分類するとステップは3つです。

第1ステップ 先生が「自由」になる
第2ステップ 子どもが「自由」になる
第3ステップ 誰もが「自由」になれる環境をつくり続ける

このステップ(足場)を頼りに、先生も子どもも、「自分がやりたくてやっている状態」をつくりだし、自分自身で「自分にとっての答え」を追い求めるのです。

その授業で「自分にとっての答え」が見つからない場合もあります。グシャグシャになったり、きたなくなっちゃったり、思った通りにならなかったりします。でも、それで全然構わないのです。「自分がやりたくてやっている状態」がつくられ、「自分にとっての答え」に向けてチャレンジしたことを全力で認めたい。綺麗な素晴らしい作品よりも、考えもがいて、勇気を出してやってみたひとつの行動の方を見逃さず、褒めたいのです。