6年間の最終単元で、物語学習のまとめを 教材分析の 《3つの鉄則》

6年間の最終単元で、物語学習のまとめを 教材分析の 《3つの鉄則》

本作品は、光村図書、東京書籍どちらの教科書にも掲載され、特に光村図書では6年生の物語の最終単元、つまり物語学習のまとめとして位置づけられています。
逆に言えば「この作品で何をまとめとするか」を明確にした授業計画が求められることにもなります。
また、中学校での読みの学習への橋渡しとなることも意識しておく必要があります。

  • 鉄則1 基本三部構成をとらえる
  • 鉄則2 「設定」をとらえる
  • 鉄則3 中心人物の変容から主題をとらえる

※鉄則の概要については「第1回 教材分析の《3つの鉄則》」を参照

「海の命」は、小学校6年間の物語学習の総仕上げにふさわしい、奥行きのある作品です。
瀬の主である巨大なクエとの対峙というドラマチックな展開にもかかわらず、叙述は一貫して淡々としています。
それだけに、教材研究や教材分析を行う際にも、「なんとなく」ではなく、「用語」「方法」「原理・原則」を明確にもつことが求められます。

この物語は、中心人物「太一」の子どもの頃の出来事から始まり、与吉じいさの弟子となり漁師となる話、父の命を奪った「クエ」と対峙する話――という流れになっています。
これらの出来事のつながりから基本三部構成の〈はじめ〉と〈なか〉を、次のようにとらえることが多いようです。

【よくある分け方】
〈はじめ〉…「もぐり漁師の父の生き方」「瀬の主『クエ』と父の戦い」
〈なか〉 …「太一が与吉じいさの弟子となり漁師となる」「与吉じいさの死」「瀬の主『クエ』との対峙」

しかし、ここで改めて考えてほしいのが、〈はじめ〉〈なか〉とは何かということです。
私は次のように定義しています。

〈はじめ〉 中心人物の大きな変容が始まる前。物語の設定が述べられている。
〈なか〉 中心人物の大きな変容が始まる。物語の山場。

前述の【よくある分け方】では、太一が中学校を卒業し、与吉じいさに弟子入りしたことを、大きな出来事ととらえているようです。
たしかに太一の成長は見られますが、これを「変容」ととらえてよいのでしょうか。
私は、与吉じいさの次の言葉に注目すべきだと考えます。

「自分では気づかないだろうが、おまえは村一番の漁師だよ。太一、ここはおまえの海だ。」

多くの場合、この言葉は与吉じいさが太一の成長を認めたものととらえられます。
しかし、「自分では気づかないだろうが」という言葉を添えています。
この言葉は、「まだ太一は『本当の村一番の漁師』にはなり切れていない」と与吉じいさは考えていることを示唆しています。
つまり、この段階で太一は「成長」はしているものの、「変容」には至っていないことになります。
このことから、この物語の〈なか〉、つまり中心人物の変容はこのあとから始まると私は考えています。
 

中心人物の変容は、物語の主題と大きく関わっています。
だからこそ、中心人物が「何によって」「どのように」変容したのかを正しくとらえることが大切なのです。

鉄則1で、与吉じいさの「自分では気づかないだろうが、」という言葉が大きな意味をもっていることをとらえました。 そこで授業では、次のような「問い」を設定することができます。

太一は、何に気がついていないのでしょうか?

「気がついていないこと」を解明していくことが、太一の変容を読むことにつながってくと考えられます。

ここで大切になるのが、太一の、「気がつく前」と「気がついた後」の違いです。 「海の命」では、変容前の太一の心情についての叙述は多くありません。そのため、「何に気がついていないのか」を直接読み取ることが難しくなっています。 しかし、太一の父や与吉じいさは気がついていたと考えられます。 そこで、この二人の言動を拾ってみます。

〔父〕
二メートルもある大物をしとめても、父はじまんすることもなく言うのだった。
「海のめぐみだからなあ。」

〔与吉じいさ〕
「千びきに一ぴきでいいんだ。千びきいるうち一ぴきをつれば、ずっとこの海で生きていけるよ。」
 与吉じいさは、毎日タイを二十ぴきとると、もう道具を片づけた。

これらの二人の言動に共通しているのは、「自然の恵みを守りながら、漁をする」ということであり、とにかくたくさんの魚をとったり、必要以上に大物をねらおうとすることではありません。

一方、〈おわり〉での太一については、次のような叙述があります。

太一は村一番の漁師であり続けた。千びきに一ぴきしかとらないのだから、海の命は全く変わらない。

これらのことから、太一が「気がついていなかった」こととは、「漁師として成長することは、自然の恵みを守りながら、漁をすることであり、魚をとりすぎることやクエを殺したりすることではない」ということだとわかります。

鉄則2で示した「問い」の解決に当たっては、「クライマックス」をとらえる必要があります。
「クライマックス」については、次のようなことをおさえておきます。

  • 「クライマックス」とは、中心人物の変容点である。
  • 「会話文」か「描写」の一文をとらえる。
  • 「視点の転換」のすぐ後にあることが多い。

※すべての作品で、上記の項目すべてがあてはまるというわけではありません。

注意が必要なのは、クライマックスとは「点」だということです。
一般的な会話では「このドラマのクライマックス場面」といった言い方をしますが、国語の学習における「クライマックス」とは異なります。
〈なか〉で中心人物・太一の様子が大きく変化している部分として、次の箇所があげられます。

……この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師にはなれないのだと、太一は泣きそうになりながら思う。
 水の中で太一はふっとほほえみ、口から銀のあぶくを出した。……

わずか1行で「泣きそうになりながら」から「ふっとほほえみ」まで、心情が大きく変化しています。
ここで太一は、「気がついた」から、大きく変容したのです。
これらのことから

水の中で太一はふっとほほえみ、口から銀のあぶくを出した。

が、「海の命」のクライマックスの一文だといえるでしょう。

では、「海の命」の主題をまとめると、どうなるのでしょうか?
「主題」とは、作者がその作品を通して描こうとしたことを、作品の表現を離れ、
「人は、……である。」
「人は、……していくべきである。」
という基本文型を用い、抽象的な表現でまとめたものです。
「作者がその作品を通して描こうとしたこと」は、中心人物の変容にあらわれます。
鉄則2でまとめたように、「海の命」における中心人物・太一の変容は、

漁師として成長することは、自然の恵みを守りながら、漁をすることであり、魚をとりすぎることやクエを殺したりすることではないと気づいた。

とまとめられます。
これを一般化したものが主題です。たとえば次のようにまとめるのはいかがでしょうか。

人は、自然の恵みで生きており、自然と共生して生きていくべきである。

これまでの1年間、物語の授業のための教材研究の方法を学んできました。
教材ごとに様々な特徴があり、その特徴に応じた授業の構成が必要でした。
その一方で、どの教材にも通じる視点もありました。例えば、

  • 「用語」「方法」「原理・原則」を糧として、作品の「クライマックス」をとらえる読みを目指す。
  • 「なぜ、基本三部構成をとらえるのか」「作品のクライマックスをとらえる目的は何なのか」など、読みの目的を明確にする。

などです。
これらは、教材を問わないだけでなく、中学校での物語の学習にも通じる「汎用的な力」でもあります。
こういった「汎用的な読みの力」をどれだけ持つことができたのかを確認することも、6年間の学習のまとめとして、大切なことなのではないでしょうか。