初任者の先生・かつて初任者だったあなたに ~夏にちょっと立ち止まって、これからを考える5冊~
|
|
新学期から4ヵ月半が過ぎ、夏休みも残り少なくなってきました。学校で勤務されているみな様、本当にお疲れ様でした。
とりわけ、4月に初めて教職に就いた初任1年目の先生、初めての学級担任となった先生など、若い世代の先生たちは、十分リフレッシュする夏を過ごせたでしょうか。まずは、「春・夏と、よく乗り切りました」。とねぎらいの言葉を送りたいです。
私は、校長を退職し、現在は住まいのある市で、3人の初任者の先生の研修講師をしています。週に1日、彼らの勤務する学校を訪れ、授業を参観し、アドバイスをし、計画に沿った演習や講義をするのが主な仕事ですが、若い先生たちの話を傾聴すること、「肯定ファースト」で伴走することを第一優先に考えています。
毎日の仕事の中での迷い、疑問、うれしいこと、悔しい事さまざまなことを言語化したり、見方を変えて考えてみたりする機会は大切です。今日は、先生たちにすこしだけ余裕ができる夏休みに、読んでみてほしい本を紹介します。
「しまった。もう教壇に立っちゃったし、ここでのNGの色々、やっちゃっています」。
という感想を持つ人が多いと思って選びました。
実は私も昔を思い起こすと、思い当たるふしがありすぎて恥ずかしくなります。
子どもたちに向き合う教員という仕事をするうえで、初任者研修マニュアルに書かれていないけれど、大切な本質が、1トピック3ページ程度にコンパクトに書かれています。文が、先輩が後輩に語り掛けるようなリラックスしているけど、ひとつひとつが心にぐっと響く言葉。
「全部、今すぐ読んで!」と言いたいのですが、特にここは、というところを紹介すると…。
“子どもたちの「大丈夫」は、実際大丈夫ではないときがあります。だから、最終的に子どもたちが大丈夫といっていても、その言葉を信用せずに、大丈夫か・大丈夫でないかは私自身が決める ようにしています。(中略)怪我といった場面だけでなく、授業中でも、わかっていなくても大丈夫と言っている場合があるからです。子どもたちは、自分が「わからないこと・できないこと」を他人し知られるのを嫌がります。<3 子どもの「大丈夫」を信用しない>”
“私は職員室で問題が解けない子に対して、「〇〇くん、あんな簡単な問題も解けないの。どうなってるねん」「親が全然協力してくれないもんな。もっと協力してくれないと」と悪口に近いような愚痴を言う先生がとても苦手です。こういうことを言った後に改善策を話し合えばよいのですが、大概の場合、愚痴を言い、ストレス発散をして終わってしまいます。(中略)子どもには無限の可能性がある。その可能性をつぶすのは大人。<44子どもを馬鹿にしない>”
私自身、若い先生たちと1対1の対話で、「だから私はあなた方の『大丈夫』を、ちょっぴり信用していないの。困ったときや、わからないときや納得いかない時は、すぐに言っていいのよ」と伝えています。
この1冊を読むことで、親身になってくれる頼りがいある先輩に出会ったような、そんな気持ちになるでしょう。
Twitterで著者のことを知り、軽妙な語り口の中に「本質」がズバリと突かれているところ、表紙に示されているような「思考停止教育」が、いかに今まで長きにわたり学校教育で「当たり前」に行われ、それが時に子どもの学びを阻害し、時には人権を侵害したり、教室の中での差別を助長したりしていたことに気が付きます。
まえがきの「僕のクラスのあたりまえ」を読まれた方は驚く方も多いでしょう。「宿題以外はすべて置き勉してもいい」「授業中に水分補給してもいい」「先生が声を張り上げて指導しない」などは、私の勤務校でも行っていたのですが、それでも、そのようなことをしている学校も、今までそうしてきた職員もいなかったから、理解し、馴染んでもらうのには大変でした。
「学習規律」「学習指導」「生活指導」の3章にわたって書かれているのは、長い間、どこの学校でも検証や見直しもせずに、行われ続けてきた「指導」の数々。初任段階の先生たちもお心当たりがあるでしょう。「このきまり、何のためにあるのだろう」
「どうして●●しちゃいけないのだろう」など、納得感の低い学校のきまり、指導体制などに疑問をもった方も多いでしょう。
それらを「学校ってそういうところだから仕方ない」なんて思わずに、果敢に挑戦し、子どもたちにとっても大人にとっても納得解であふれる学校にかえていかなくてはならない。そんな背中を押す一冊です。
読んで感じたことは、Twitterの「めがね旦那」へアウトプットしてみましょう。
余談ですが、学校の先生のSNSの使用率はとても低く、かつアウトプットする人はもっと少ない。学校によっては禁止しているところもあると聞きます。
職務上知りえた情報を投稿するのは、社会通念上許されないことですが、双方向の情報ツールとしては活用したほうがいいと思います。
私が初任者の頃、先輩教員が「『こどものことがわからない』と感じたなら仕事はやめたほうがいい」。と言っていたのを聞き、
「ふーん、そうなんだー」と思ったのだけど、その後「こどものことは何でもわかる」と思うのも危険だな…人の事なんてそう簡単にわかるもんじゃないよな…と考えるようになりました。
学校で子どもに「ラベル」を貼って分類するような大人がいないわけじゃなく、「怠け者で三日坊主」「嘘つき」「真面目な努力家」なんてラベルを貼ったり貼られていた人もいたのではないかしら、今よく使われる「バイアス」という思い込みです。
著者の金大竜先生を私は、「あたたかな児童生徒観ですてきな学校をつくる第一人者」と称賛しています。この書籍の中でも。教師としての厳しい内省、そして子供たちへの深く愛情に満ちた視点に目からうろこが落ちるはず。
若い先生はつらいことがたくさんあります。小学校高学年から中学生は、若いというだけで、リスペクトに欠ける態度を取られたり、うまくいかないことを先生の経験不足のせいにされたり(生徒も保護者も同僚もしてくる)、結構傷つく。だけど、そんな経験をしながらも、私は「こどもを憎まないでほしい」と願います。
発達段階や環境、心理を学ぶことで、感情ではなく知見として受け入れられることがたくさんあります。この本では、「こどもの見方」を
この3領域とし三角形で表しています。ここまで、こどもの思考、無意識の領域を理解するのはなかなかできない。これを知ることで、視覚的に見える「あの子の言動」は氷山の一角にすぎず、水面下にある、不安や承認欲求、心の傷など「本当のあの子」が見えてくるのです。
さまざまな事象について記されていますが、私は、この本を読み終わった後に、その時々に心に湧き上がる不安や落ち込む気持ちを、3つの領域に分けて自己分析するのも役に立つと発見しました。どこの学校でも、今は異校種連携の取組などが盛んにおこなわれていますが、大事にするのは「手段」ではなく「児童生徒観」です。子どもの見方を温かく、共感的にそろえていくことで、子どもも大人も幸せになれると感じています。
皆さんは「教育」というと、今自分が携わっている「学校教育」のことだと感じませんか?でも、実は教育って、学校教育だけではないのです。さて、何でしょうか?
それは家庭教育と社会教育です。
家庭教育は、イメージしやすいですね。人は生まれてから、家庭で、家庭教育を受けて育ちます。赤ん坊の頃はほぼ100%家庭教育です。その後、幼稚園、小学校、中学校、高校大学と、学校教育を受ける時代が続きます。家庭教育でも、学校教育でもない教育が「社会教育」です。どんなものがあるかイメージできますか。
学校でも家庭でもないところでの学び、身近なものでは、英会話教室やスポーツクラブ、塾、カルチャーセンター、美術館や博物館、市民プールなどの施設での学び、地域コミュニティでの活動、防災訓練など、多岐にわたります。
生涯学習、つまり人は学び続ける存在です。人生100年時代と言われるようになりましたが、学校教育の期間は長くてもせいぜい20年。それ以外で社会教育に関わる時間は非常に長いのです。なのに、学校の先生たちは社会教育に関心が薄い現状があります。
この本は、目線をグローバルに上げて、世界で行われている成人教育の現状と課題、SDGsを取り上げています。そして第3章で日本の社会教育の現状と課題、防災教育、地域学校協働活動など、学校教育に携わる者が実装しておくべき社会教育の現状について学ぶことができる。
日本中で、地域とともにある学校、コミュニティ・スクールが増えている。しかしながら、内容が伴わないコミュニティ・スクールもまだ多い。
もう学校だけで教育を完結する時代ではないとわかっているのに、実効性ある手が打てないのは、社会教育、生涯学習についての理解不足という側面もあるのです。
学校って、ローカルなもので、ローカルであるがゆえの良さがたくさんあります。でも、学校の大人たちには、もっと広い視野、グローバルな視点が必要です。
最後は、教育の本質を考える一冊。
コロナ禍の2020年、著者である内田樹先生のオンラインセミナー(東洋館出版主催)を拝聴しました。鳥肌が立つような感覚、先生の語る言葉がハートに響き、よい衝撃を受けました。そのセミナーを書籍化したのがこの一冊です。
内田樹先生は、フランス文学者、武道家、思想家とプロフィールにありますが、先生の語り口は武道に似て、無駄がない。軸が定まっていてぶれない。そこが心地よさなんだろう、と勝手に解釈しています。
教育って仕事は、具体の積み重ね。毎日やっていることは、具体的でかつ、短期的な問題解決仕事が多い。それを繰り返していると、つい忘れるのが「そもそも何なのか」と考える余白。
私は昔、自動車教習所で初めて路上講習を受けた時に教官から言われた言葉を思い出すのです。
「何か飛び出してくるかと思って、近くばっかり見ちゃうでしょう。でも、そうするとね、進路が曲がってゆくのですよ。遠くを見ることが大事です。近くばかり見ていては危ないです」
教育の仕事で、少し遠くを見る時には、教育方法論でない本を読むことをお勧めします。「本質」を見つめることが、あなたのこれから続く長い教職人生の軸となります。さまざまに起きる課題も、本質に立ち返って考えると具体的に解決できるでしょう。そして、希望が持てる。
私が持っているこの本、すべてのページに付箋が付いています。教育に関わる人の必読書と、イチ推しです。
ところで、次の言葉をご存じですか。
“おとなは、だれも、はじめは子供だった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない。)”
『星の王子様』(サン・ディグジュベリ)の冒頭に書かれている言葉です。日々子どもにかかわる学校の大人たちも、かつては子どもだった。そして、今は、管理職になっていたり、教育行政にいたりする方も、ベテランも中堅も、かつては初任者だった。
学校の仕事のハードさが増し、せっかく志して教職に就いた人たちが、希望を失い、心身を病んで学校を去る、そんな出来事が増えています。
若い人だけに限らず、子どもたちに関わる仕事を行うすべての大人が、自分の子ども時代を、初めて教職に就いたあの頃を思い出して、これからの教育について考えてほしいです。