忘れられない、大切な授業

忘れられない、大切な授業

これまで先生と子どもが、「自らやりたくてやる状態」をつくりだし、自分自身で「自分にとっての答え」を追い求めるための “ 3つのステップ ” をお伝えしました。
今回はそのステップになぞらえ、山内先生が先生になりたての頃「これでいいのだ」と確信できた、ひとつの授業実践を具体的にご紹介します。

これは僕が教員になりたての頃、2014年6月に実施した「りんごかもしれない」という6年生の授業です。

当時参画していた図画工作科研究会で、ある大ベテランの先生がこんなことをおっしゃいました。

「絵に描くとか、工作にするとかさ、本当は教師が決めるんなじゃなくて、それも子どもたちが決められたらいいよね。」

図画工作科の学習指導要領では、学ぶ順番や具体的な時間数を示していません。

図画工作科で育成を目指す資質・能力である「知識及び技能」,「思考力,判断力,表現力等」,「学びに向かう力,人間性等」は,相互に関連し合い,一体となって働く性質がある。「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けては,それぞれを相互に関連させながら資質・能力の育成を図る必要がある。必ずしも,別々に分けて育成したり,「知識及び技能」を習得してから「思考力,判断力,表現力等」を身に付けるといった順序性をもって育成したりするものではないことに留意し,指導することが重要である。
(学習指導要領解説より)

児童が手や体全体を働かせてものをつくる活動の機会が減少していると言われている。ものをつくる経験は,単に技術の習得という観点だけではなく,よさや美しさを大切にする気持ち,自発的に工夫や改善に取り組む態度の育成などの観点からも重要である。 このことから,工作に表すことの内容に配当する授業時数が,絵や立体に表すことの内容に配当する授業時数とおよそ等しくなるように指導計画を立てることの必要性を示している。
(学習指導要領解説より)

「絵だけ」、「工作だけ」、「鑑賞はやらない」など偏りがあるのはNGで、“ (1)「知識及び技能」が習得されること,(2)「思考力,判断力,表現力等」を育成すること,(3)「学びに向かう力,人間性等」を涵養することが偏りなく実現されるよう,題材など内容や時間のまとまりを見通しながら,主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を行うことが重要である。”と示されているのです。

しかし、一般的には教員から提示されるテーマ(題材)がそのまま「絵を描く」、「工作する」とか「立体で表す」など、子どもの行為を限定します。教科書に掲載されている事例も、ほとんどがそうした分類で掲載されています。

ただ、前述のベテラン先生の発言で、「それすらも自由だったのか!」と気付かされたのです。教員になって2ヶ月でしたが、「絵にするか、立体にするか、そこから子どもたちが自分で選べる授業をつくりたい」と思うようになりました。

当時、5歳の息子と2歳の娘が夜寝る際に、毎日読み聞かせをしていました。その時によく読んでいたのが『りんごかもしれない』(ヨシタケシンスケ、ブロンズ新社)でした。

この絵本を我が子に読み聞かせている時に、「あ!これを使えば、絵でも、立体でも、子どもたちが選べる授業ができるかもしれない!!」と思いつきました。


自分がやってみたい授業の“ アイデア ”が生まれた瞬間です。こうなれば第1ステップは完了です。

絵本の読み聞かせからこの授業はスタートしました。今では誰でも知るようになった有名絵本ですが、当時はまだ発売から1年ちょっとで、子どもたちはほとんどこの絵本を知りませんでした。6年生でも笑い、驚き、考えさせられながら、豊かに妄想する時間でした。
読み聞かせの後、あらかじめ買っておいた本物のりんごをさっと取り出し、子どもたちに見せました。

『りんごかもしれない』を読み終えたばかりの子どもたちですから、「これは本物のりんごじゃない!?」と妄想が始まります。この「!?」が、“ 自由 ”への入り口です。
「なんだこれ!?」「どうするんだ!?」など、日常生活では出会えないモノや問いが、「やってみたい」「やってみよう」と背中を押すのです。こうした非日常の環境設計が大事です。

さて、授業は、りんごを囲んでスケッチ…ではなく、「りんごじゃなくて、○○かもしれない」というアイデアをどんどん書いていきます。

あっという間に、何百枚という数の「〜かもしれない」アイデアが溜まっていきます。この時はとにかくアイデアを出すのが最優先なので、上手な絵を描く必要はありません。どんなくだらないアイデアでもOKです。お互いのアイデアを面白がりながら、僕も子どもたちの中に入って笑い、驚き、賞賛したりして参加しました。

アイデアが図工室いっぱいに揃ってきたところで、「じゃあさ、この中でお気に入りのアイデアを1つ実際につくってみようよ。絵でも、立体でもいいよ。どうする? なにをつくる!?」と子どもたちに提案しました。

図工室には自由に使える材料を用意していました。どの材料が自分のアイデアを実現させるのに使えそうか、子どもたちは自ら選んでいきます。

「絵本を読む → アイデアを出す」ところまでは一律ですが、

どのアイデアを形にするのか
絵にするのか、立体にするのか
材料はどうするのか

これらは全部子どもたちが決めます。これが第2のステップです。

まだ僕は、教員になって2ヶ月でした。この授業での制作に子どもたちが何時間かかるのか、当時は全く検討がつきません。でも逆に、それだから「いつまでに」と、急かすこともしませんでした。

つくり始めたら「何か違う」と、途中で変える子もいます。それでもいいんです。全体の様子をみながら、「あと1回の授業で完成できそう?」などとやりとりをしながら終わりを探っていきました。

僕の授業は、静寂とは真逆の環境です。ワイワイ賑やかに制作が進んでいきます。途中で道具や材料を取りに行ったりするので、立ち歩きも当たり前です。 最初は正直不安でした。子どもたちが制作に集中できないのではないか。「静かにやろう。集中してやろう」と伝えるべきなのか。

しかし子どもたちは手を真っ赤にしながら紙粘土を伸ばして喜んだり、他の人のアイデアを面白がったり、とても楽しそうです。僕もその中に入って色々おしゃべりしているので、その“ 楽しい! ”という空気を肌で感じていました。騒がしいし、関係ない話も飛び交い、立ち歩きも当たり前、だけど嫌な感じはしないのです。なんとも言葉で表現しきれないのですが、この雰囲気が「これでいいのだ」と思わせてくれました。

結果、導入1時間+制作5時間で全員完成しました。どれもびっくりするほど楽しくて、面白いものばかりでした。展示をすると他学年の子たちもどんどん集まってきて、大人気になりました。そんな様子を見ていた製作者たち6年生の嬉しそうな姿も忘れられません。

実はこの授業を始める前に、『りんごかもしれない』の出版元であるブロンズ新社さんに、授業で本を使う旨、了承をとるために連絡しました。そうしたらとても喜んで学校まで取材に来てくださり、公式ブログに掲載していただきました。
これがご縁で、ヨシタケシンスケさんにもお会いすることができ、子どもたちへメッセージもいただき、なんとその後TV取材にまで繋がりました。今でも忘れられない、大切な授業「りんごかもしれない」でした。