「残る」学びと「変わる」学び

「残る」学びと「変わる」学び

今月は、広島県で公立校の小学校教員を11年間勤めた後、現在、東京都の私立中学校で国語科教員をしている槙原宏樹先生と沼田拓弥先生との対話を通して、国語の力の系統性とともに板書のあり方を考えていきます。槙原先生はこれまでに「黒板」「電子黒板のみ」、そして現在の「ホワイトボード+プロジェクター型電子黒板」という3種類の形態の板書を経験しました。まさにデジタルとアナログを駆使して実践を行ってきた槙原先生は、1人1台端末時代の板書についてどのように考え、実践されているのでしょうか?

教材: 「徒然草」(東京書籍中学2年/第2時) 
実践者:槙原 宏樹先生 (東京都・私立中学校)
本時のねらい:「仁和寺にある法師」の法師をどう思うかについて、叙述を多面的にとらえながら読み解き、自分の考えをまとめることができる。

中学2年「徒然草」実践の際の板書例

沼田先生:Q:槙原先生の勤務される中学校では「ホワイトボード+プロジェクター型電子黒板」を使用しているのですね。槙原先生は以前、小学校での教員経験もあると聞きました。小学校教員時代は、黒板を使っていたと思いますので、「小学校と中学校の授業の違い」や「黒板と電子黒板の違い」で何か感じる部分はありますか。

槙原先生:A:私が「黒板」「電子黒板のみ」、そして現在の「ホワイトボード+プロジェクター型電子黒板」という3種類の形態の板書を経験する中で気付いた板書のキーワードは、「残る」と「変わる」です。例えば、黒板では一度書いたものが一瞬にして「変わる」ことはなく、基本的に書いたものは「残り」ます。しかし、電子黒板のみの場合は、スライド上に書いたものは「残す」ことができず、全てが一瞬で「変わり」ます。現在のホワイトボード+プロジェクター型電子黒板は、「残したい」ものはペンで書き、「変えたい」ものは電子黒板に書くということができます。この「残る」と「変わる」ということを、学習者の思考に寄り添いながら選択し、授業を組み立てていく必要があると感じます。

③通読後、クラス全体で物語のあらすじを確認する。教師は、「この後はどうなった?」「暑い日に喉元まで毛布をかけるってどういう意味かな?」など、子どもたちの発言を板書に書き加えていく。
④内容をおおまかにつかんだ上で、「この物語は、だれが、何をして、どうなった話」という型を用いて、物語のあらすじを一文にまとめる。

このような流れで授業を行ったところ、最後にまとめたあらすじも、子どもそれぞれに違いが生じ、興味深く感じられました。例えば、太一を主語にしている子がほとんどでしたが、なかには与吉じいさを主語にしてあらすじをまとめている子もいて、第2時以降の展開で扱うとおもしろそうだなと思いました。

小学校と中学校 授業時数の大きな違い
小学校と中学校では週あたりの国語授業時数に大きな違いがあります。小学校では、1年生から6年生まで、9・9・7・7・5・5(h)となっています。一方、中学校では、1年生から3年生までを見ると、4・4・3(h)となっています。小学1年生の時には、1日に2時間も行っていた国語が、中学校3年生の時には、週に3時間しかないのです。これは授業(単元)づくりをする上でも大きな違いになります。
つまり、学年が上がるほど、これまでの授業で身に付けた力を柔軟に活用する力、これからの授業で身に付けさせたい力への焦点化が授業づくりの大きな鍵になります。これは、限られた時間の中で何を「残し」、何を「変える」かという点では、板書づくりの際にも同じようなことが言えるでしょう。

沼田先生:Q:槙原先生の経験談によると、板書には、視覚的に「残る」「変わる」の2つの視点からメリット・デメリットがありそうですね。この2点について、どのように感じていますか。もう少し詳しく聞かせてください。

槙原先生:A:「残る」ことと「変わる」ことのメリットとデメリットは、それぞれ以下のように整理できます(丸数字はメリット、白抜き丸数字はデメリットを表す)。

「残る」ことのメリット・デメリット
①学びの足跡が分かる
②学びを関連付けることができる
③事後に振り返ることができる
❶変化させづらい
❷提示できるものに限界がある

「変わる」ことのメリット・デメリット
①リズムやインパクトを生む
②学習の場面転換が容易になる
③学習者に提示できる情報や資料が広がる
❶すべてが消えてリセットされる
❷学習を振り返りづらい

これらの両面を活かした板書を行うことで、より学習者の思考の活性化を図ることができると思います。なお、この「残る」と「変わる」ということは、決して電子黒板がある場合だけの観点ではありません。例えば「黒板」であっても、より「変わる」ことを意識することで、あえて学習者の誤読も書いてしまって学習材化したり、空所を作ってそこに何が入るのか思考させたりすることも可能です。まずは教師自身が板書を教室にいる全員の「学びの共有物」として、学習の流れにおいて変化するものであるという感覚をもつことが重要であると感じます。

黒板に何を「残し」、何を「変える」のか
多くの先生方にとって「黒板にどの言葉を残せばいいのか」は、板書づくりの大きな悩みの一つではないでしょうか。すべての言葉を書き残していては、限られたスペースがあっという間に文字で埋められてしまいます。槙原先生の整理されたメリット・デメリットは、そんな悩みを解決するための大きなヒントになります。つまり、「残す」ことのメリットのうち、どこに焦点化して授業を組み立てるのか。また、「変える」ことによって、子どもたちの思考にどのような刺激をもたらすのかを考えることで授業づくりがよりおもしろくなります。

沼田先生:Q:「板書×授業づくりのワンポイント①」でも触れたように中学校では国語科の授業時数が小学校に比べて、極端に少なくなりますよね。日によっては、国語科の授業がない日もあります。そう考えると、小学校での国語科での学びの蓄積の重要性を痛感します。小学校から中学校への「国語科の学びの転移」という視点から、板書をしていて気付くことはありますか。

槙原先生:A:中学校で授業をするようになり、これまで以上に小学校の学びの重要性を感じています。私の感覚ですが、小学校段階において国語科で身に付ける力の多くの部分がカバーされているように感じています。中学校段階では、小学校での観点をより多面的・多角的に考えたり、多様に関連付けたりするイメージでしょうか。 そこで、板書という点では、これまでに学んできた読み方は積極的に「残る」形で書くことを意識しています。例えば文学でいえば「中心人物、クライマックス、人物関係」など、説明文でいえば「序論・本論・結論、要点、要約、要旨」などといった小学校段階で学んでいる学習用語は積極的に用いて読み方をラベリングし、板書するようにしています。これらは、学習のねらい・課題として直接的に提示することもありますし、読みの結果としてどのような読み方を活かしたり伸ばしたりできたのか、小学校時代の教材を鏡としながら振り返り、整理することもあります。

学習用語を板書に「残す」ことで意識化する
中学校の授業は、小学校以上に「何を学んだのか」という観点を明確にし、子どもたちに「学びの実感」をもたせることが重要になりますね。これが実現できれば、学んだことを他の場面に積極的に転移させ、読み方を概念として形成することができそうです。板書は、この学びを支える大きな役割を果たします。
子どもたちが自分たちの言葉として「学習用語」を獲得すると、国語の授業はグッと深みをもち始めます。表面的な言葉をなぞる授業から、一つひとつの言葉を吟味する授業へと変化するはずです。

沼田先生:Q:ここまでの話を踏まえて、槙原先生の授業実践の具体からお話を伺います。今回の授業では、板書を用いることで子どもたちの学びにどのような影響がありましたか。槙原先生は、「?型板書」も提唱されていますので、その辺りのしかけについても教えてください。

槙原先生:A:この「徒然草」の授業では、文学における「人物像」の読み方を活かして解釈しながら読むことをねらいとしました。この授業を通して、古典作品を読む醍醐味や面白さが実感できることを願っています。
板書においては、ワンポイント③で示したように、まずはこれまで「人物像」について読むときにどのようなことに着目しながら読んでいたかを振り返り、それらをホワイトボードにペンで書き残します。

まずは、「人物像」の読み方について学級全体でふり返る

そして、電子黒板の画面を「人物像」から「仁和寺の法師」へと変え、「これまでの読み方が古典においても活かして読むことができるのか」という問いが共有できるように促しました。

「人物像」を「仁和寺の法師」に変え、読み方の転移を促す

私が、自著『?型板書』(東洋館出版社)で提案したかったことは「板書の役割の拡張」です。具体的には、どちらかといえば教師側が「教える・仕掛ける」ことが主だった板書に、学習者の中から「?が引き出されてくる」という役割も加えていこうということです。
本時では「仁和寺の法師はどのような人物か」という発問で学習者の読みの直感を引き出すと、プラス・マイナスの対照的な人物の捉え方が出てきます。それを分類しながら記述するとき、特に同じ叙述に着目していても解釈が違う場合は、あえてプラス・マイナスの両方に同じ叙述を書き残しておきます。例えば、「ただ一人、徒歩より詣でけり」「ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」といった文は、仁和寺の法師が「頑固で自己中心的な人」とも、「信心深く一生懸命で真面目な人」とも考えることができるでしょう。その上で「黒板を見て何か気付くことはある?」と学習者自身に黒板を分析させることで、言葉による見方・考え方が動き出し、学習者に「?」が生まれるよう促していきます。

プラス・マイナスの記述を色分けして分類し「?」を引き出す

そして、再度文章に立ち返りながら、自分自身の読みを再検討するとともに、この作品のテーマ・主題を考えさせていきます。時間に余裕があれば、世の中にはどのような解釈があるのか検索させると、プラス・マイナスのどちらの解釈もあることがわかり、自分たちの話し合いと同じように、多様に読める文章であることを実感できます。そのことで古典を読み、解釈する面白さにも気付けるのではないでしょうか。

子どもたちの頭に「?」と「!」を生む板書
板書で子どもたちの発言を整理することは大切です。それを踏まえた上で、「板書を見ることで子どもたちの頭の中にたくさんの「?」が浮かぶこと」を意識した板書づくりが、思考の深化には欠かすことができません。この「?」を学級で話し合い、解決する中に「!」が生まれ、子どもたちの「学びの実感」へとつながります。また、「?」を見つける、そして、解決する学習プロセスを辿るためには、事前の板書計画の際にどのようなしかけで迫ってくのかを十分に吟味する必要があります。

沼田先生:Q:最後に、今後の「一人一台端末時代」における板書の役割の広がりや、中学校の国語科の授業づくりの在り方についてどう考えますか。

槙原先生:A:一人一台端末となったとき、板書に学習者が「参加する」という機会が高まると思います。たしかにこれまでも学習者が黒板にチョークで書くこともありましたが、時間がかかるなどの欠点もありました。しかし、一人一台端末が普及したことで、学習者と授業者が画面を共有したり、チャット機能等を活かしたりすることで、一人一人が板書に「参加する」ことがより容易になると考えられます。〈作品・筆者/教師/学習者〉という三位が協働して創り上げるという新たな立体的板書の可能性も探っていきたいです。
中学校の国語科の授業はさらに大きな可能性があると思っています。特に小・中のカリキュラム・マネジメントが具体的に進めば、さらに国語科における「深い学び」が実現できると思います。

新たな可能性を拓く板書
これまでの板書では、なかなか乗り越えることのできなかった「共有」「参加」という2点を一人一台端末が可能にしてくれました。これは大きな学習ツール革命です。さらに、この「共有」「参加」が容易にできるようになったことで、これを子どもたちがどのように自ら活用して学びを広げ、深めていくのかが今後、注目されるはずです。板書を教師のものにするのではなく、学習ツールとして子どもたちがどんどん活用できるものにしていくことが大切ですね。

小学校から中学校までの9年間の学びという長い視点で考えました。今回、板書づくりについても「残す」と「変わる」をキーワードに据えることで視野が大きく広がりました。ワンポイントでも整理したように、小学校と中学校の国語科授業には様々な違いはありますが、中学での国語科の学びを充実させるためには、小学校における「言葉の耕し」がとても重要であることもご理解いただけたのではないでしょうか。「残す」ことで子どもたちが意図的に活用できる力へとつなげ、「変わる」ことで子どもの学びに大きな広がりや深まりをもたらす。ここに子どもたちの主体性が加わることによって、「言葉の力」はどこまでも伸びていくはずです。

〈参考文献〉

槙原宏樹『子どもに「問い」と「気付き」がうまれる「?型板書」の国語授業』(東洋館出版社、2021)

石丸憲一(編著), 正木友則・上山伸幸・槙原宏樹・小黒竜太(著)『Chromebookでつくる中学校国語の授業』(明治図書出版、2022)

阿部昇『読解力を鍛える古典の「読み」の授業』(明治図書出版、2021)