物語文「大造じいさんとガン」教材分析の《3つの鉄則》

物語文「大造じいさんとガン」教材分析の《3つの鉄則》

「設定」や「クライマックス」を丁寧に読み、「主題」をとらえる。
今回取り上げるのは、5年生の物語教材「大造じいさんとガン」です。
この物語で作者が描こうとした「主題」は何なのか、しっかりと読んでいきましょう。

  • 鉄則1 基本三部構成をとらえる
  • 鉄則2 「設定」をとらえる
  • 鉄則3 中心人物の変容から主題をとらえる

※鉄則の概要については「第1回 教材分析の《3つの鉄則》」を参照

物語を読むときに、読者としての想像が先走り、そこに書かれていないことを前提とした「思い込み」の読みに陥ってしまうことがあります。
また、書かれていることを読み落としたり、表面的な読みにとどまってしまうこともあります。
国語の学習における物語の読みでは、そういったことを排除し、そこに書かれていること、つまり「叙述」に沿った読みを行うことが大切です。

この作品は、他の多くの作品とは異なり、冒頭に、作者がこの物語を書くに至った経緯などを述べた「プロローグ」にあたる部分があります。
作品全体として考えるとこのプロローグにも大切な意味がありますが、「物語の基本三部構成」をとらえる際には、プロローグを除いた1場面~4場面を3つに分けます。

これまでも説明してきましたが、物語の基本三部構成とは

〈はじめ〉…設定
〈なか〉…山場
〈おわり〉…結末

です。 このうち、山場とは中心人物が変容していく部分です。

1場面では、この物語の中心人物・大造じいさんや、残雪について説明されています。大造じいさんは「つりばり作戦」によってガンを一羽手に入れますが、これも二度と同じ手にはのらないガンの賢さを描くエピソードとなっています。また、このときのガンが、3場面でのおとりとして使われるので、3場面への伏線ともなっています。
このように1場面は、この物語の「設定」です。

2場面になると大造じいさんの残雪に対するいまいましい思い、何とかしてガンをとりたいという思いは高まります。3場面でも、前半までは同様です。
しかし、残雪とハヤブサの戦いを目撃した後は「強く心を打たれて、ただの鳥に対しているような気がしませんでした。」というほどに変わっています。
したがって2場面、3場面を、大造じいさんが変容する「山場」ととらえることができます。

そして4場面は、変容後の大造じいさんと、一冬をこして傷が癒えた残雪が描かれています。後日譚でもあり、「結末」です。

これらをもとに「大造じいさんとガン」の基本三部構成をとらえると、次のようになります。

設定……1場面(残雪に対する大造じいさんの思い。「つりばり作戦」により生きているガンを手に入れた。)
山場……2場面、3場面(「タニシ作戦」「おとり作戦」と「残雪とハヤブサの戦い」。大造じいさんの残雪に対するとらえ方の変化。)
結末……4場面(一冬を越した後の大造じいさんと残雪のようす。)

1場面からは、次のような「設定」を読み取ることができます。

  • 残雪は、仲間を守るために、人間を警戒している。大造じいさんだけを警戒したり邪魔したりしているわけではない。
  • 大造じいさんは、残雪を撃つことが目的ではなかったが、ガンをとることを邪魔する残雪のことを、いまいましく思っていた。

特に、中心人物である大造じいさんについては、物語の中での変容を読み取るために、物語の冒頭ではどうだったのかをしっかりおさえておく必要があります。

〈伏線について〉
1場面で大造じいさんは、ウナギつりばりを使い、一羽だけガンを生きたままつかまえることに成功します。
このガンを手に入れたことが、のちに「おとり作戦」を思いつくきっかけになります。 さらに、4場面で「ひきょうなやり方でやっつけたかあないぞ。」という気持ちになるのは、「自分がおとりをつかったひきょうなやり方をした」という思いの裏返しでしょう。
このように、1場面の時点では何気ないことのように見えた「生きたガンを手に入れた」ということが物語の展開に深く関わっていくことを示し、「伏線」についての理解を深めることができます。

物語の学習で「クライマックス」をとらえるのは、「クライマックス」が物語における中心人物の変容点であり、中心人物が何によって、どのように変容したのかをおさえることが、その物語の主題をとらえることにつながっていくからです。

では、クライマックスの一文がどこかを見ていきましょう。「大造じいさんとガン」のクライマックスの一文として「大造じいさんは、ぐっとじゅうをかたに当て、残雪をねらいましたが。が、なんと思ったか、再びじゅうを下ろしてしまいました。」を挙げる例が多く見られます。 しかし、この一文からは、「じゅうを下ろした大造じいさんの心」ははっきりしません。 そこで、「視点の転換」から見ていくことにします。 クライマックスの一文は、「視点の転換の直後」という特徴があるからです。 この作品は、ほぼ全編を通して、大造じいさんの視点で描かれています。 ただし、3場面の次の部分は、語り手は残雪に寄り添います。

残雪の目には、人間もハヤブサもありませんでした。ただ、……それは、最期の時を感じて、せめて頭領としてのいげんをきずつけまいと努力しているようでもありました。

このあと、視点が大造じいさんに戻った一文「大造じいさんは、強く心を打たれて、ただの鳥に対しているような気がしませんでした。」が、クライマックスの一文であるといえます。

このように丁寧に見てくると、大造じいさんが強く心を打たれたのは、残雪の「仲間を守ろうとする行為」ではなく、「たとえ命の危機に瀕していてもいげんを傷つけまいとする、堂々たる態度」であることがわかります。 これらのことから私は、「大造じいさんとガン」を通して作者・椋鳩十が描こうとした主題は、「人が生きるとき、どんなに苦しくても自らの尊厳を保とうとすることの尊さ」であると読んだのですが、皆さんはいかがだったでしょうか。

※視点の転換からクライマックスの一文をとらえることについては、このWebマガジンの第5回でも、「ごんぎつね」を題材に説明しています。

「大造じいさんとガン」の学習では、「仲間を守ることの大切さ」が強調されたり、「大造じいさんと残雪は、最後には心が通い合った」といった読みをしてしまうこともあるようです。
しかし、今回のように「設定」をしっかりおさえ、「中心人物が、どんなことによって変容したのか」を丁寧にとらえることによって、作者がその物語を通して本当に伝えたかったことは何なのかが見えてきます。
プロローグで大造じいさんについて「七十二さいだというのに、こしひとつ曲がっていない……」と描いているのも、年老いてからも誇り高く生きることの美しさを描きたかったからではないかと、私はとらえています。