第6回 後編 人口減していく社会で、愉快に暮らすために|複雑化の教育論

第6回 後編 人口減していく社会で、愉快に暮らすために|複雑化の教育論

世界でも珍しい、体育座り

――5月の上旬に、体育座りという独特の座り方の弊害が話題になりました〔編注1〕。どこかで体育座りの話を読んだ気がすると思って本棚を探したところ、ご著書『寝ながら学べる構造主義』〔編注2〕で体育座りにふれられていました。

それは僕のオリジナルじゃなくて、竹内敏晴さんという演出家であり、言葉と体についてたくさんの著作を残した方の講演で伺った話です。竹内敏晴さんが20年ぐらい前に神戸女学院に講演にいらしたことがあって、そのときに話したことです。
その時に「体育座り」というのは、日本の教育行政が子どもの体について犯した最も罪深いことの一つであるとおっしゃっていました。手遊びをさせない、自分の手で自分の膝を抱え込んで身動きできないように縛りつける。いわば自分の手と足を使って檻をつくって、その中に自分を閉じ込めている。
恐ろしいのは、自分の体を檻にして、その中に自分を閉じ込めさせるというこの息苦しい体勢に子どもたちがしだいに慣れてくるということです。「そういう座り方したら息苦しいでしょう?」と訊いたら、何人かの子どもに「この方が楽だ」と言われました。
竹内さんのお話では、1965年あたりで、文部省の通達で子どもたちを座らせるときにこういう形で座らせなさい〔編注3〕とあったそうなんです。そういう通達があって、その座り方が日本中に広まった。僕自身は、そんな座り方を学校で強要された記憶がありませんから、おそらく、僕よりも10歳くらい年下の世代からそういうことが始まったのでしょう。

――平成生まれの私は体育座りを指導されたので、勝手な座り方でみんなが座るという風景の方が想像しにくいです。

僕が子どもの頃は、ふつうの区立小学校には、そもそも体育館というものがなかったですから。体育館というものを見たのは中学に入ってからです。体育館に集められるときは、整列して立たされているか、入学式や卒業式ではパイプ椅子に座っていてように思います。体育館の床に座らされた記憶はありません。
以前、中学校に講演を頼まれて行ったら、体育館に全校生徒が集められて、体育座りをしていました。膝を抱えて座り込んでいる子どもたちを演壇の上から見下ろすと、ずいぶん高低差があるんです。それがあまり居心地がよくなくて、「そういう座り方、本当は良くないんですよ。先生方も聞いて欲しいんですけれど、こういう不自然な姿勢を子どもに強いるべきではありません」という話をしました。でも、どうしようもないんです。「じゃあ、みんな楽にしてくれ」と言っても、彼らは「楽にする」姿勢というものがわからないんですから。だから、僕に「体育座りはよろしくない」といきなり言われて、子どもたちも先生も、みんな困惑していました。でも、あんな格好で子どもたちを座らせるのは、世界でも日本だけじゃないんですか。

子どもの身体

――今のお話を伺って思い出したのですが、私が子どもの頃よく注意されたのが「手いたずら」です。「手いたずらをしない。先生の話を聞くときは、手は膝の上」とよく言われる子どもでした。

こんなふうに手をうねうねと動かしていると怒られるんでしょ(笑)。

――そうです(笑)。先生が子どものときにもそういう注意のされ方はありましたか。

ありませんでした。だいたい「手遊び」という言葉を聞いたのも、実は竹内さんのその講演が初めてでした。なるほど、そういう言い方があるんだと思いました。でも、子どもって、手遊びが大好きじゃないですか(笑)。指がどれぐらい曲がるかとか、肘がどれくらい回転するかとか、自分の体をいじり回すのは何も遊ぶものがないときの子どもの遊びですから。注意が散漫になるからとかいう理由で禁止されているんでしょうけれど。
僕は子どものときには、とにかく多動で、落ち着きのない子どもでしたけれど、先生に「落ち着け」と注意された記憶があまりないんです。先生たちは、僕たちをひとしきり騒がせておいて、落ち着いたころを見計らって、それから授業を始めるというような感じでしたね。その流れがなかなか円滑だった。
昭和二十年代の子どもたちって、なんとなく「まとまり」があったような気がするんです。笑うときにはクラスが一斉に笑う。怖がるときにはクラスが一斉に「きゃー」と叫ぶ。興奮するとクラスが一斉に腰を浮かして前のめりになる…。なんというのかな、クラスの50人がある種の「共同的身体」みたいなものをかたちづくっていたように思うんです。笑ったり、悲しんだり、怖がったり、怒ったりという感情がクラス全体で共有されていたような気がします。
だから、僕も多動の子どもだったんですけれども、僕一人がクラスの他の子たちから浮いていたというのではなく、笑うときにひときわ大声をあげたり、身を乗り出すときに椅子から転げ落ちたり…というふうに、みんなと同じなんだけれど、ちょっと過激、というようなタイプの多動だったような気がします。
ですから、その時代の教室では、子どもたちの身体を縛りつけるということはしていなかったように思います。羊の群れは一斉に動きますから、牧羊犬が一頭いれば、何百もの羊を制御できる。クラスがああいう感じの「群れ」をなしていたような気がします。だから、先生がうまい具合に話を運ぶと、クラス全員が先生のほうに引き寄せられていって、一斉に同じリアクションする。
そういう自分の子どもの頃の教室の風景や体感だけ記憶していたので、90年代になって自分の子どもが学校に行くようになって授業参観へ行ってみて、ずいぶん驚きました。クラスが「ばらばら」だったからです。子どもたちが一つにまとまっていない。立ち歩いている子がいるし、後ろを向いてしゃべっている子がいるし、よそ見している子がいるし、前の方の十人くらいが先生の授業を聴いている。ばらばらなんです。今にして思うと、あれは、ある時期から子どもたちが「共同的な身体」を持つことができなくなったせいかも知れません。

共同的な身体が遊びをつくる

僕たちが子どもの頃までは、隣にいる子の驚きとか、喜びとか、興奮とかが直接身体に伝わってくるという、そういう身体的なコミュニケーションが成り立っていたんじゃないかという気がします。その頃は遊び道具が何にもありませんからね。神社の境内に集まっても、遊ぶ道具は「自分の体」しかなかった。だから、みんなの体を使って遊ぶわけですよね。鬼ごっことか、チャンバラごっことか、馬跳びとか、どれも体を使って遊ぶ。そして、他人の体と共感し合ったり、つながったり、離れたりということが遊びを楽しむための基本的な技能だった。
鬼ごっこなんか、逃げている子たちがある種の共同的な身体を形成していないと、楽しくないわけですよね。鬼が来ると、一斉に「きゃーっ」と叫びながら逃げないと楽しくないでしょ。いわば、固有名詞を失って、みんな固有性を失って、どろどろした塊になっていって、そのどろどろした塊が遊びの基本単位になる。
「おしくらまんじゅう」というのがまさにそうですよね。あれ、ただ子どもたちが集まってどろどろもちもちした「共同的身体」を作るというだけの遊びですから。ただこねるだけ(笑)。でも、子どもたちは飽きもせずにそうやって体をこねて、塊を作ることを楽しんでいた。そういう遊びばかりしていたから、周りにいる子どもたちと身体的に共感するということが割と得意だったのかも知れません。
だから、学校でも、教え上手な先生というのは、そうやって子どもたちをぱっと一つの「お餅」みたいなねばねばしたものにまとめ上げてしまって、それをひょいとひもで縛って、肩に担いで連れてゆく…というような技術に長けていたのかもしれない。

人口減していく社会でどう生きるか

――新刊『撤退論』〔編注4〕では、「子どもが生まれず老人ばかりの国」で、「それでもそれなりに豊かで幸福に暮らせるためにどういう制度を設計すべきか」について、さまざまな方向から16人の著者が提案されています。これまで重視されてきた「成長」などの指標や価値基準ではないものを拠りどころにしていかなければならないと感じ、安堵する気持ちがある一方で、不安も覚えました。未来を切り拓いていくためには、何をどのように考えていけばよいのでしょうか。

日本は、これから前代未聞の局面に直面していきます。人口減と高齢化には、ロールモデルがないんです。「こうやって危機的事態を乗り越えました」という成功事例が歴史上存在しない。前代未聞の状況なんですから、「これまで誰もしたことがないこと」をしないと対応できない。それをわくわくした気分で迎える。まずはそのマインドセットの切り替えがたいせつだと思います。
21世紀の終わりに、日本の人口は明治40年ぐらいの人口規模になります。それが5千万人ですから、80年かけて7600万人減る。
でも、そんなに怖がることはないと思うんです。明治40年の日本だって、全国津々浦々に人々は住んでいて、そこでそれぞれの生業を営んでいて、いろいろな祭祀や芸能もあったし、多様な食文化もあったし、お茶だって能楽だって武道だって稽古していた。「豊かさ」という点で言えば、今に比べて少しも遜色のない豊かな生活を送っていた。
若い人が減って、老人ばかりになるというのは、ここしばらくのことであって、僕たちの世代がいなくなると、小さいながらもピラミッド型の人口構成に戻ってゆくはずですから、それほど異常なことではないと思います。
日本だけじゃなくて、これからは中国も韓国も台湾もどこも同じような人口減・高齢化の局面を迎えます。その中で、日本が世界で初めてその局面に入ってゆく。そこでどうふるまえばいいのか、どうすれば愉快に暮らせるのか、誰も「正解」を知りません。ですから、各自が一人一人で「こういうやり方でいいんじゃないかな」「これはどう」とどんどん提案してゆけばいいと思います。自由奔放にアイディアを出していっていいと思います。誰かが正解を知っていて「それは正しい」とか「それは間違っている」という判定を下せるわけじゃないんですから。誰も正解を知らないから、誰も査定できない。僕はその自由さを享受したらいいと思います。
とにかく職業の種類を増やした方がいいと僕は思います。明治40年頃は、今よりもはるかに職業の種類は多かったはずなんですから。たぶんその頃存在した職業の90%くらいはもうなくなってしまった。だったら、かつて存在したけれど、今はなくなってしまった職業を、また復活させてゆけばいいんじゃないかと思います。それこそ、木こりとか炭焼きとか遊行の芸能者とか山伏とか…そういう多様な生業があれば、生きることのできる場所も広がると思うんです。絶滅寸前の職業ってたくさんありますからね。それを伝えている人が生きているうちに、その人の弟子になって、その貴重な技能の「最後の継承者」になるとかいうのって、すごく楽しそうなんですけれどね。
アメリカのある研究によると、今年小学校に入った子どもたちが大学出たときにつく職業の65%は「今は存在していない職業」だそうです。だから、子どもの頃から「将来はこの職業に就こう」なんて決めて、それに特化して自己教育をするというようなことはあまりしない方がいいと思いますよ。どんな職業に就いても役に立つ知識や技能を身に着けるように努力した方がいい。
「先が見えない」というのは別にそんなに困ったことじゃないと思うんです。生業というのは、子どもたちが思っているよりはるかにたくさんあるんですから、のんびり機嫌よく過ごせばいいんじゃないですか。

編集部注

  1. 「体育座り「つらい」腰痛原因 見直す学校も」山陰中央新報デジタル(2022/5/6)
    https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/203439
    山陰中央新報デジタルの記事がSNSを中心に話題に。平野啓一郎氏など著名人が記事に言及し、 Twitterでは一時トレンドに上がるなどした。
  2. 内田樹『寝ながら学べる構造主義』文春新書、2002年
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166602513
  3. 昭和40年に文部省より発行された「集団行動指導の手びき」で「腰を下ろして休む姿勢」として体育座 りが紹介され、全国的に広まったとされる。
  4. 内田樹編『撤退論――歴史のパラダイム転換にむけて』晶文社、2022年5月24日
    https://www.shobunsha.co.jp/?p=7075

教育を支える出版社として

1948年の創業以来、教育書の専門出版社として、主に学校教育に関わる出版活動を続けて参りました。学術書から実用書まで、教育書という分野において確かな地盤と実績を築いてきたという自負があります。
一方で、社会の大きな変化と、それに合わせた学校教育を含む教育情勢の変化も感じて参りました。創業前年の1947年には最初の学習指導要領が作成されました。当時はまだ「試案」という形で、戦争を省みる言葉とともに、子どもの興味や関心を大切にする児童中心主義の教育観が打ち出されました。
それから約70年が経ち、変わらない本質的な部分は現代に引き継がれつつも、全国の小中学校の9割以上に一人一台端末が配備され、授業風景が大きく変わろうとしています。学校から目を転じてみると、生産年齢人口の減少や科学技術の革新、地球規模での気候変動といった今まで人類が経験したことのない局面に直面しています。そのような変化の時代において、未来を生きる子どもたちのために、教育を支えるすべての人のために、何かまだできることがあるのではないだろうか――そのような思いから、本シリーズを新たに2022年より刊行いたします。