表現活動 ~「読書感想文を書く」を通して~

執筆者: 白石 範孝

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「自分の考えを書く。」
「物語の続きを書く。」
「詩を創作する。」
「読書感想文を書く。」
「短歌や俳句を創作する。」
「意見文を書く。」
          ………

国語の授業では、様々な表現活動が行われています。
ところが、表現活動については多くの方が悩みを抱えているようです。

  • ・様々な「自分の考え」が出てきてしまい、その後の授業が拡散してしまう。
  • ・何がよくて、何が悪いのか、評価が曖昧になってしまう。
  • ・子どもは「何を書けばいいのか、わからない!」と嫌がる。

実は、このような悩みや問題の原因は、1つに集約されます。

子どもたちに、表現の方法を明示していない。

が、すべての原因なのです。

これまでも繰り返し申し上げてきましたが、国語の学習において圧倒的に不足しているのが「具体的な方法を教えること」です。
特に表現活動において、その悪影響があらわれています。

【表現活動における問題】

  • ・様々な「自分の考え」が出てきてしまう。
    →「何について」「どのような方向で」「どのような形式・分量で」などの明示がない。
  • ・評価が曖昧になってしまう。
    →具体的な指示が行われていないので、目標に対する到達度が測定できない。
  • ・子どもたちが嫌がる。
    →書き方を指示・指導されることなく、ただ「書きましょう」としか言われない。

これに加えて、実はもう一つ、問題があります。それは、

表現活動に、読みの学習の成果が活かされていない。

ということです。
国語の授業の多くの時間を読みの授業に費やしているのに、その学習の成果と表現活動とがまったく切り離されているため、子どもたちの意識や意欲もなかなか高まりません。

そこで今回は、
・説明文の学習で学んだ「基本三文型」
・物語の学習で学んだ「一文で書く」
この2つを「読書感想文を書く」に活用してみたいと思います。

まず、「基本三文型」を復習しましょう。

基本三文型

※スマートフォンの場合は左右にスクロールしてご覧ください。

頭括型

「主張」や「要旨」を〈はじめ〉の部分で述べ、〈なか〉の部分で事例をあげて終わる。
「結論~本論(事例)」という流れで表現される。
事実を明確に述べるとき使われることが多い。

尾括型

「主張」や「要旨」が〈おわり〉の部分にある。
「序論~本論~結論」という流れで表現される。
書き手が自分の感想や驚きを述べるのに効果的である。

双括型
(両括型)

「主張」や「要旨」が〈はじめ〉と〈おわり〉の両方で述べられる。
「結論~本論(事例)~結論」という流れで表現される。
主張や要旨が2回述べられ、説得力のある文章となる。


読書感想文は尾括型でも書けるのですが、「子どもたちの書きやすさ」を考え、今回は「双括型で書くように」と指示しましょう。
全体は次のような構成になります。

はじめ

その物語を読んで、どう感じたか。

なか

上記のように感じた理由をいくつかあげる。

おわり

その物語を読んで感じたことをもう一度くり返し、強調する。

次に「一文で書く」です。
「一文で書く」は物語の学習において、中心人物とその変容について的確にとらえるため、次のような文型で物語全体を表すものです。

一般的に読書感想文では、その物語の内容を紹介する部分があります。
簡単に紹介すればよいのですが、必要以上に細かく説明してしまい、感想文のほとんどの部分がその物語を紹介しているにすぎない――といったことは珍しくありません。
そこで、感想文の〈はじめ〉の部分で、その物語を一文で書く形にします。
宮沢賢治の「やまなし」の読書感想文を書くという設定で、全体の構成をまとめてみましょう。

※スマートフォンの場合は左右にスクロールしてご覧ください。

  書き方の指示 (例)「やまなし」の読書感想文の場合
はじめ その物語を読んで、どう感じたか。 最後まで生きることができた命のすばらしさを感じました。
その物語を一文で書く。 かにの子どもらが、クラムボンや魚が殺されるのを見てこわくなったけれども、よく熟してから川をながれてきたやまなしの実を見ることによって、自然の恵みや幸せを知る話です。
なか 上記のように感じた理由をいくつかあげる。(2つ、3つなど個数を指定する) 3つの理由があります。
①物語の情景の描き方
「青い」「暗い」「鋼のように」など、不吉なことを感じさせる「五月」の暗い感じと、「やわらか」や、きらきらするものなど、楽しいことを感じさせる「十二月」の明るい感じを比べ、最後まで生きることができた命のすばらしさを強く感じました。
②かにの子どもらの言葉
「五月」では、「こわいよ、お父さん。」と恐怖を感じていましたが、「十二月」では、「おいしそうだね、お父さん。」と喜んでいます。
③題名
作者は、よく熟すまで生きることができた「やまなし」を題名にしています。
おわり その物語を読んで感じたことをもう一度くり返し、強調する。 最後まで生きることができた命のすばらしさを感じました。

いかがでしょうか。
この表を見ただけで、どのような感想文になるかが見えてくるのではないでしょうか。
子どもたちも読書感想文に対する苦手意識をもたずに済むはずです。
また、この形式に則って書かれているかどうかという、評価の観点にもなります。

※この表をもとに書いた「やまなし」の読書感想文は、今回の記事の最後でご紹介します。

今回は、「読書感想文」を題材に、表現活動を行うにあたって「方法を示すこと」と「読みの学習との関連性をもたせること」の大切さを考えてみました。
これらのことは、読書感想文以外の表現活動においてもいえることです。
読みの学習の中で行われることが多い「自分の考えをまとめてみよう」といった活動についても同様です。

「書いてみましょう。」「まとめてみましょう。」といった曖昧な言葉で子どもたちを放り出してしまわない表現活動を目指していただければと思います。

次回は、「文学(人物/語り手)」についてご説明する予定です。

また、一緒に学びましょう。

[「やまなし」の読書感想文の例]

 「やまなし」を読んで

 わたしは、宮沢賢治の「やまなし」を読んで、最後まで生きることができた命のすばらしさを感じました。
 「やまなし」は、かにの子どもらが、クラムボンや魚が殺されるのを見てこわくなったけれども、よく熟してから川をながれてきたやまなしの実を見ることによって、自然の恵みや幸せを知る物語です。
 わたしがこの物語を読んで最後まで生きることができた命のすばらしさを感じた理由は、3つあります。
 一つ目は物語の情景の描き方です。
 かわせみによって魚の命がうばわれてしまった「五月」では、「青い」「暗い」「鋼のように」など、不吉なことを感じさせる描写があります。ところが、よく熟したやまなしが登場する「十二月」には、「やわらか」や、きらきらするものなど、楽しいことを感じさせる描写があります。「五月」の暗い感じと、「十二月」の明るい感じを比べ、最後まで生きることができた命のすばらしさを強く感じました。
 二つ目は、かにの子どもらの言葉です。
 「五月」では、「こわいよ、お父さん。」と恐怖を感じていましたが、「十二月」では、「おいしそうだね、お父さん。」と喜んでいます。最後まで生きることができた命は、周囲の人々も幸せな気持ちにするのだなと感じました。
 三つ目は、「やまなし」という題名です。
 題名は作者が一番言いたいことを表している言葉です。「五月」の、命をうばった「かわせみ」ではなく、よく熟すまで生きることができた「やまなし」を題名にしたことから、作者の宮沢賢治も、最後まで生きることができた命のすばらしさを描こうとしたのだと思います。
 このようなことから、わたしは「やまなし」を読んで、「最後まで生きることができた命のすばらしさ」を感じました。